高瀬羽皐
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高瀬羽皐(たかせ うこう)
ジャーナリスト、社会事業家
高瀬真卿、羽皐隠史
1853年~1924年
- 刀剣研究家として知られる。
- 「詳註刀剣名物帳」の著者。
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生涯
- 嘉永6年(1853年)水戸藩士高瀬儀平次の長男として生まれる。
- 幼名は政吉、のち真之介、のち真卿(しんきょう)を名乗る。
- 実弟に小山松吉。
小山松吉は検事総長、司法大臣、貴族院勅選議員、法政大学総長を歴任した人物。15歳で岡山縣士族・小山高光の養子となる。妻は養父高光の長女である正尾。
長男・小山高茂も弓道で三女・菊代は建築家・山下啓次郎の次男・山下啓輔と結婚。山下啓輔は三井セメント会長となった人物。啓輔の次男がジャズピアニスト山下洋輔。
次女・豐子は北海道炭鉱汽船夕張病院長伊藤金三郎に嫁いだ。 - 明治8年(1875年)に庄司健斉(庄司春村)に師事する。
- 仙台で松田常吉が発行していた「東北毎日新聞」で自由民権論を唱える。
- 明治15年(1882年)に東京に出て戯作者となる。
社会事業
- 明治17年(1884年)には囚人の感化協会を設立、また翌明治18年には本郷湯島称仰院内に日本初の少年感化院(私立予備感化院、翌年に東京感化院)を設立する。
今を距る十七年以前、湯島の兩門町即ち池の端の西の通りである、こゝに稱仰院と云浄土宗の寺があつて本堂はさうでもないが、庫裏の方は非常に頽廃して、今にも倒れさうな家があつた、座敷の數が十五六あつた様に思う、されこの感化院を創業するにつき、新たに建る事は迚も出來ないから、先づこの寺の庫裏を借りて創業しやうと思ひついて、住職に話した處がどうせ明屋になつて居るから、お貸し申ませうと云事で一ヶ月五圓で借り受った、尤も其節は六室計り借りたのであつて追々に殘らず借りる事にしたので、
- 明治22年(1889年)に本郷駒込曙町に移転、渋沢栄一の後援も受けている。
是月、東京感化院後援ノ目的ヲ以テ東京感化院慈善会組織サル。栄一其会計監督ニ就任シ、同三十七年十月辞ス。
- 明治45年(1912年)に日蓮宗の宗務院総監
佐野前励 師に無償譲渡するまで院長を務めている。
感化院は現在でいう児童自立支援施設。この少年感化院は、大正12年に土地の返還期限が到来し、江古田に移転する。のち錦華学院と改称し、現在は社会福祉法人錦華学院。東京都練馬区小竹町。
羽皐号
- 高名な「
羽皐 」は号で、明治27年(1894年)ごろより東京渋谷村の羽澤に住したためとする。
"皐"は澤(沢)と同義。なおこの「羽皐」はそれより前に羽澤に住んでいた愛刀家で知られた第2代内閣総理大臣黒田清隆の号でもある(黒田羽皐)。
- この羽澤の地は、感化院運営の援助を目的として、宮内省より南豊島御料地7800坪を貸し下げられたことによる。羽皐はここに新たに感化院を設立し、傍らに自宅を構え、羽澤文庫と称した。
(明治25年)
七月四日 渋谷御料地ノ内、拝借地仮受取ノ為メ院長出張セラル
一一月一一日 院長、午前八時半ヨリ南豊島羽澤御料地見分トシテ出張
- この敷地内の一画に明治44年(1911年)の10月に鍛刀所を作り、宮内省御用刀匠の堀井胤明を招いて鍛刀させており、自らも焼刃直し程度は行ったとされる。
しかし日本刀大百科事典によれば、正しくは堀井胤明の養子の堀井兼吉(俊秀)であるという。この刀工・堀井兼吉(俊秀)とは、2021年12月に坂本龍馬所用「陸奥守吉行」の押形が残っていたと話題になったときの「瑞泉鍛刀所」の初代の人物である。堀井兼吉(俊秀)は明治37年(1904年)胤明に入門。明治44年(1911年)に高瀬羽皐の羽澤文庫内の鍛刀所に迎えられた。同年師の娘と結婚して堀井家を継いでいる。大正7年(1918年)に瑞泉鍛刀所の専属刀工として養父とともに赴任し同主任となる。
堀井胤明は本名堀井五郎三郎、刀工・堀井胤吉(月山貞吉ついで荘司直胤に師事。のち宮内省御用刀工)の甥でのち養子となって継いだ人物。明治36年(1903年)に宮内省御用刀匠。昭和7年(1932年)に室蘭に移って日本製鋼所(現室蘭製作所)に入所している。
瑞泉鍛刀所では、刀鍛冶堀井家の初代を堀井胤吉、堀井胤明を二代としており、また瑞泉鍛刀所の初代は堀井胤明の跡を継いだ縁戚の堀井兼吉(刀工名は最初兼明、ついで秀明、さらに俊秀と改名)とする。
瑞泉鍛刀所百年の歩み - 日本製鋼所(PDF)
刀剣
- 刀剣を趣味とし、明治33年(1900年)より靖国神社遊就館の刀剣会幹事を務める。
- 明治42年(1909年)に「刀剣談」、翌43年には「日本刀」の連載を開始する。
- また明治43年(1910年)10月には刀剣保存会を設立し、「刀剣と歴史」を羽澤文庫から発刊する。編集発行人は近藤鶴堂(近藤藤之介)。
- さらに大正元年10月には日本刀の保存及びその研究を目的とした「日本刀剣保存会」を創立している。
- 晩年羽澤の地から世田谷太子堂に移っている。
- 大正13年(1924年)11月17日に72歳で死去。
- 長男・高瀬魁介。羽皐の死後に出たいくつかの書籍において、序文などを寄せておりその名が残る。
書籍
- 主に刀剣、歴史関係の書籍を多数出版している。
- 明治38年(1905年)水戸史談 : 故老実歴 附きのふの夢 ※送信限定
- 明治44年(1911年)「刀剣鑑定備考」
- 刀剣鑑定備考. 古刀之部 - 国立国会図書館デジタルコレクション / 刀剣鑑定備考. 新刀之部 - 国立国会図書館デジタルコレクション ※スキャンが悪く読みづらい
- 明治45年(1912年)「袖中鑑刀必携」
- 大正元年(1912年 7月30日に改元)「英雄と佩刀」、「新古刀剣談」
- 大正2年(1913年)「詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形」、「鑑刀集成 : 諸家秘説」、「刀剣一夕話」
- 大正3年(1914年)「刀剣鑑定備考. 巻之上 / 刀剣鑑定備考. 巻之下」 ※送信限定
- 昭和5年(1930年)刀剣鑑定備考 ※送信限定だが読みやすい
- 大正8年(1919年)「詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形」 増補版
- 大正9年(1920年)「名刀揃ひ : はり扇」
- 大正15年(1926年 12月25日に改元)「羽皐刀剣録」 ※送信限定
- 昭和2年(1927年)「刀剣談」
- 昭和4年(1929年)「諸家秘説鑑刀集成」
- ※多くを国立国会図書館デジタルコレクションで読むことができる。
参考
関連項目
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