大村加卜


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 大村加卜(おおむらかぼく)

江戸時代前期の刀工、医師
新刀上作
大村賀卜

 生涯

  • 宝永元年(1704年)12月18日死去。

 高田藩

  • 若くして越後高田城主松平光長に召し抱えられる。
  • 職名は「御医師二百石」で、医師として召し抱えられている。
  • 越後騒動の際には中立を守る。

 水戸藩

  • 越後騒動の後にか、水戸家お抱えとなる。
  • 「常陸国水戸住真十五枚甲状鍛大村加卜作 延宝五丁巳暦七月十七日」と在銘の刀がある。延宝5年は1677年。
  • 水戸家では、侍医、または御伽衆、進物番ともいい、水戸十軒町搦手橋際に屋敷を拝領したという。
  • 貞享元年(1684年)~翌2年にかけて鏡徳寺において鍛刀する。
  • 元禄年間には家老中山備前守の組下となり、のち元禄10年(あるいは12年)には暇を賜った、または出奔したという。

 鍛刀

  • 若い頃から鍛刀を行い、「真一五枚甲伏造」(真十五枚甲状作)という鍛法を自得する。
  • 貞享2年(1685年)には徳川光圀公の命により太刀2振りを鍛えている。
  • 水戸家退転後、江戸鉄砲洲で鍛刀する。

 

  • 「義博」「義秀」
  • 「越後幕下士大村加ト慰作之」
  • 「真十五枚甲伏造」

 在銘刀

  • 清河八郎:脇差 一尺八寸。
  • 刀 銘「加卜/竜大森治郎左衛門入道大村加ト慰作之越後幕下士真十五用伏作」
  • 刀 銘「越後幕下士大村加ト慰」
  • 刀 銘「越後幕下士大村加卜安秀慰指図鍛冶作」、2尺3寸4分
  • 正保二年作、「越後幕下士大村加卜慰指図鍛冶 欲聞九百年来之物語」
  • 銘「執之魍魎誰能前 気凛清風沙漠辺」。中国唐代の詩人、李頎(りき)の「崔五丈圖屏風賦得烏孫佩刀」という詩の一節から引いたもの。

 梵字

  • 加卜は僧籍に入っていただけに梵字の功徳を信じること篤く、湯船の底には不動明王ほか八字、向こう板に不動明王と勢至菩薩など九字、右の板には阿弥陀如来、左の板には阿閦(あしゅく)如来、手前の板に大日如来と虚空蔵菩薩などを書いていたという。
  • また鍛冶場には注連縄を張り、御幣などにも梵字を書いていたという。

 最期

  • 奥州二本松にいたとき、夜中に裸で小便に出た所を加卜を仇と狙っていたもの10人ばかりに襲われた。
  • 右腕を切り落とされるがその侍を投げつけて即死させ、残る男たちが逃げ出そうとすると一人捕まえて斬り落とされた右手を相手の口に押し込んで相手を殺し、さらに逃げ遅れた一人を追いかけた上で膝の下に押し伏せて腕をねじ込んで殺してしまった。腕を斬り落とされて前途を絶望したのか、加卜自身もそこで死んでいた。
  • 遺骨は、行者が拾い上げ茨城県の武田山不動院に葬ったといい、その墓が今も残る。

 著作

剣刀秘宝

 弟子

 武蔵太郎安国(初代安国)

  • 新刀上作。
  • 慶安3年、武州八王子下原の生まれ。
  • 山本金左衛門(下原)広重の子。通称藤太。
  • 江戸に出て大村加卜の門人となる。
  • 貞享2年、水戸徳川光圀の佩刀を鍛えている。
  • 初銘「広重」、のち「安国」と改名する。ト宥と号し「ト宥軒」とも切る。加トに従い水戸に駐槌。のち江戸で水田国重に師事したとも。中里介山の「大菩薩峠」で机竜之助の愛刀として登場する。

 武蔵太郎安国

 宗国

  • 初代安国の弟。

 武蔵太郎安貞

  • 初代安国の弟子。

 越前守吉門

  • 濃州関善定家武蔵守吉門。兼吉13代目。初期銘は越前守吉門。寛文12年2月、水戸家に七人扶持で抱えられ、加ト門人となる。良業物。

 坂東太郎卜伝

  • 兼吉14代目。越前守吉門の弟。通称長兵衛、金兵衛。武蔵守受領。延宝5年、水戸光圀より坂東太郎鎮正入道ト伝の名を賜る。新刀上作。

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