名物三作
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名物三作(めいぶつさんさく)
名物三作
- 中巻ではそれ以外の諸国の名工30工が載っており、計133口となっている。
- 掲載刀はあわせて248口となるが、三作はそのうち46%を占める。
「三作」の登場
- ただし、「三作」としてこの3人の刀工を明確に別格扱いをしたのは現代「享保名物帳」と呼ばれている書籍がはじめてであり、それ以前の刀剣銘鑑ではそれらを三作として記載されているものは見当たらない。
- この「三作」がいつ現れたのかについては、高名な刀剣研究家の本間薫山氏が「刀剣美術」昭和46年4・5月号に掲載された文章の中で「光悦刀剣名物記」なるものを紹介されているという。
- それは奥書も署名もないが本阿弥光悦の書と目されており、加賀本阿弥家で家宝とされてきたものという。刀剣170口が記載され、うち享保名物帳に所載されなかったものはわずかに7口(うち2口は名物追加の部に記載あり)となっている。
- このメモで注目されるのが、一覧表の末尾に「義弘が十五口、正宗が四十二口、吉光が二十五口」の順序でまとめられている点(享保名物帳では義弘11、正宗41、吉光16)であり、もしこれが光悦の書であるとすると、この時点で名物三作の原型がほぼ出来ていたということになる。
- つまり、「三作」が成立したのは光悦の生没年である永禄元年~寛永14年の間ということになる。ただし世に広まるのは次の本阿弥長根本による「名物三作」によるものと思われる。
「名物三作」(本阿弥長根本上巻)
- 「享保名物帳」は、享保四年に幕府に献上された後も改定され続けた。
- 幕末には加賀本阿弥家の本阿弥長根(芍薬亭長根)が上巻、中巻、下巻の3つに分け、吉光・正宗・義弘といういわゆる名物三作が他の刀工とは別にまとめられ独立した巻になった。この上巻を「名物三作」と呼ぶ。
三作異説
五人の上手(ごにんのじょうず)
五作(ごさく)
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