備前長船元重(刀工)


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 元重(もとしげ)

南北朝期の備前の刀工
古刀上々作、最上大業物

  1. 【初代元重】:二代元重と区別するために「古元重」と呼ばれる。備前ではなく伯耆元重とされる。
  2. 【二代元重】貞宗三哲。中古刀上々作。「備州長船住元重」貞宗門人とされ、貞宗三哲とも呼ばれる。伯耆日原出身で備前真光の弟子となる。

 生涯

  • 守重の弟で重真の兄と伝える。
  • 相州貞宗三哲の一人とされるが作風は関連が見いだせない。
  • 大蔵允

 著名刀

 重要文化財

見返り元重
折返銘「備前国長船住元重」。刃長二尺三寸一分五厘。重要文化財
太刀
銘「元重」附:正徳元年十月ノ折紙一通(本阿弥光忠折紙)。松平賴壽寄進。
高松藩初代藩主である松平頼重が、叔父の紀州頼宣の弔問した際にその子・光貞から形見分けとして贈られたもの。
二代元重の作。大正10年(1921年)4月30日旧国宝指定。指定時は香川県屋島神社所蔵。昭和55年(1980年)の「国宝重要文化財総合目録」では松平頼明氏所蔵(屋島神社旧蔵)。現在は香川県歴史博物館所蔵。[ID:2533] 太刀 銘元重 : 収蔵品情報 | 館蔵品データベース | 香川県立ミュージアム
つまり紀州家から水戸家御連枝の高松松平家に伝来した刀で、度々屋島神社に寄進しては取り出していたように見える。伯爵・松平頼寿は、最後の高松藩主で伯爵となった松平頼聰の八男で、のち襲爵した。この頼寿が寄進したはずだが昭和期には再び松平家に戻っている。
銘「元重」東京国立博物館所蔵
金象嵌銘「元重/本阿(花押)」長87.6cm。鎬造、庵棟、身幅広く、反浅く、大鋒。帽子乱込み、先小丸、彫物表裏棒樋、樋先上がり、かき流す。なかご大磨上、先栗尻、新鑢目勝手下がり、目釘孔1個。備前長船元重の大太刀を磨上げたもので金象嵌は本阿弥光温。昭和29年(1954年)3月20日重要文化財指定。個人蔵
無銘。大正6年(1917年)4月5日重要文化財指定。上杉神社所蔵
無銘元重。長68.4cm。越前宰相松平忠直所持。大磨上ながら所伝のとおり備前元重の作とみられるもの。昭和28年(1953年)11月14日重要文化財指定。旧福井藩主家(越前松平家)伝来。松平康昌氏旧蔵、松平綾子氏旧蔵。東京国立博物館所蔵
脇差
銘「備前国長船元重」長44.8cm。平造、三つ棟、身幅広く重ね薄く、寸延び、僅かに反る。表梵字下に素剣、裏刀樋、腰に素剣の浮彫。茎生ぶ、先栗尻、鑢目筋違、目釘孔2個。昭和29年(1954年)3月20日重要文化財指定。個人蔵
脇差
銘「備州長船元重」長42.7cm。反り0.4cm。平造、三つ棟、身幅広くやや寸延び、僅かに反る。表裏に梵字、刀樋、素剣の彫物。備前長船元重二代の作とされ、同工の最高傑作として評価が高い。薩摩藩島津家伝来。
平成29年(2017年)4千万円で文化庁が買い上げ。

 その他

太刀
銘「備洲長船住元重」。刃長69.7cmの太刀造り、中心部に3cm位の摺上げ。天和2年(1682年)本阿弥光常の鑑定折紙折紙は二重の包み紙に包まれ、「備前国元重正真長サ弍尺参寸分□半表裏樋影樋少磨上之代参百五拾貫天和二年戌極月三日本阿(花押)」と書かれている。神奈川県指定重要文化財
鮭切り
山名相模守家重代の太刀
虎御前の太刀
竹中半兵衛所用 ※ただし備前元重ではなく、関兼常作の末古刀とみられている。
滝川一益所用
大は二尺一寸八分。表裏に棒樋。杢目肌に乱れ刃。「備州長船住元重 文和元年八月日」と在銘。小も同じく元重作で、一尺四寸四分。菖蒲造り、杢目肌、ぐの目乱れ。戦前まで伝わった。
短刀
銘「備州長船住元重/延文元年十月日」。長一尺一寸八分五厘、反り八厘。平造り、三棟、身幅広く僅かに反り。中心うぶ。昭和9年(1934年)12月20日重要美術品指定、山田復之助氏所持。
薙刀
銘「備州長船住元重/建武五年三月日」昭和12年(1937年)8月28日重要美術品指定。相馬恵胤子爵所持。
太刀
銘「元重/嘉元二年九月日」昭和15年(1940年)9月27日重要美術品指定、島田真富氏所持。
銘「備州長船元重」昭和12年(1937年)8月28日重要美術品指定、片岡貞喜氏所持。




 備中青江元重

備中青江刀工

銘「元重」長80cm。備中青江元重の作。明治14年(1881)9月に、長尾家から南龍神社に奉納されたもの。のち南龍神社が東照宮に合祀されたため、東照宮の所蔵となった。大正3年(1914年)4月15日重要文化財指定。紀州東照宮所蔵

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