石切丸

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石切丸(いしきりまる)  

太刀
銘 河内有成
二尺五寸一分
重要美術品
石切剣箭神社所蔵(いしきりつるぎやじんじゃ 東大阪市)

  • 河内国三条有成作
  • 石切剣箭命神社由来によると、三条小鍛冶宗近の作という。
  • 石切

石切剣箭神社 宝物殿  

来歴  

  • 過去に流出していた経緯があり、その後買い戻したという。
  • 現在は石切剣箭神社所蔵。




その他の石切丸  

  • 同名刀が複数ある。

源義平の「石切丸」  

  • 源義平(頼朝の長兄)が所持。
  • 八龍の鎧」と共に帯びていた、叔父である源義賢を討ち取ったという四尺に余る大太刀

    嫡子悪源太義平は生年一九歳、練色の魚綾(ぎょりょう)の直垂に、八龍とて胸板に龍を八つ打て付たる鎧を着て、高角(たかづの)の甲の緒をしめ、石切と云太刀を帯、石打の矢負、重藤の弓持って、鹿毛なる馬の逸り切りたるに鏡鞍置せて、父の馬と同頭に引立たり。
    平治物語

  • 河内ノ有成の作というがよくわかっていない。
    相州善行、あるいは"あおみどり"や"笑栗(えみぐり)"、三くち丸の作者である相州藤源次(保元ごろ)とする異説もある。
  • 平治元年(1159年)12月、平治の乱に敗れた源義平が落ち延びる際に越前大野で「青葉の笛」と共に人に託したという。笛の方はその子孫の朝日家に伝えられ福井県大野市和泉に現存するが、太刀石切丸は散逸して現存していない。大野市博物館 笛資料館
  • 義平は翌永暦元年(1160年)に捕えられ、六条河原において処刑された。
  • 後白河法皇の御剣とも伝わり同時代であるため何らかの関連が指摘されている。

軍記物と各地の伝承にしか登場しない伝説の太刀のため詳細不明。古刀剣書にいくつか記載が見られるが、この頃の刀剣書の作刀に関する信頼の置けなさは髭切伝承の混乱ぶりで明らかである。

碓井貞光の「石切丸」  

石斫丸(いしきりまる)  

  • 因州鳥取藩士の河田景与が戊辰の役に出兵後、信州で買い求めた和泉守兼定作。同郷の刀工宮本包則が「このような大乱れの刃は折れる懸念がある」と評したため、河田は憤然として庭の春日灯篭の笠を切り割ったがいささかの損傷もなかったという。
  • その後京都府知事槇村正直が譲り受けた。磨上て短冊銘にした上で、銀象嵌で石斫丸の由来を記したという。