祖心尼

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祖心尼(そしんに)  

江戸時代初期の女性
おなあ、おのう、古那

Table of Contents

概要  

  • 前田利長の養女で、春日局の義理の姪。
  • 3代将軍家光側室お振の方(自証院)の祖母。
    祖心尼       徳川家光
     ├───おたあ   ├───千代姫
    町野幸和  ├───お振の方  ├───尾張綱誠
         岡吉右衛門     尾張光友
    
    • 孫のお振の方(自証院)が産んだ家光長女の千代姫(霊仙院)は尾張藩2代藩主徳川光友に嫁ぎ、3代藩主の徳川綱誠を産んだ。
  • 出家して祖心尼と号し、蔭凉山済松寺の開基となった。
  • 以下では祖心尼で通す。

生涯  

  • 祖心尼は天正16年(1588年)、稲葉重通の子である牧村利貞の娘として生まれる。
  • 父の牧村利貞(兵部)は利休七哲の一人であり、かつキリシタン大名でもあった。小牧・長久手、四国征伐、九州平定などに参加し、伊勢国内で2万石余を領した。
  • 文禄2年(1593年)7月、文禄の役に船奉行として参加し現地で病死する。48歳。
  • 祖心尼は父と懇意だった前田利家に引き取られ、嫡男前田利長の養女となる。

前田直知の妻  

  • のち分家の小松城代前田直知(利家の長女・幸の息子)へ嫁ぎ、2人の男児を産む。
  • しかしその後とつぜん前田家より離縁を申し付けられ流浪する。キリシタンの高山右近と親しかったためとも、前田利家長女である姑お幸との折り合いが悪ったためともされる。
    • 長男が加賀八家、前田対馬守家3代目の前田直正。
    • 次男直成は、母に連れられて加賀を出ている。母の祖心尼が蒲生家の重臣であった町野幸和と再婚したため養子となっている。のち前田家に戻り、寛永8年(1631年)に兄の直正が急死すると、その子前田孝貞を助け前田対馬守家の家政を見ている。直成の子牧村直良は、祖母祖心尼の名跡を継いで幕府の旗本となり、500石を与えられた。
  • 祖心尼は次男の直成を連れ、生前の父が建立した京都妙心寺雑華院の住職で、叔父の一宙禅師(父利貞の実弟)の元へ身を寄せる。この時、妙心寺寿聖院にいた石田三成の長男、済院宗享(石田重家)に帰依し、禅を学ぶ。
    石田重家
    石田重家は石田三成の嫡男で、母は宇多頼忠の娘である皎月院。関が原の戦いが起こると豊臣家に対する人質として大坂城に留め置かれた。その後西軍大敗の報が届くと、重臣の津山甚内や乳母により密かに脱出し、京都妙心寺の塔頭寿聖院に入り、住職の伯蒲慧稜により剃髪、仏門に入れられた。伯蒲は京都所司代の奥平信昌を通じて助命嘆願を行い、これが許された。済院宗享こと重家は、貞享3年(1686年)まで生き、享年104であったという。

蒲生家重臣町野幸和の妻  

  • 慶長13年(1608年)に祖心尼は会津藩主であった蒲生忠郷の重臣町野幸和と再婚し、娘おたあを生んでいる。
    町野幸和
    町野幸和は蒲生重臣の同僚、岡重政と懇意であり、岡重政が石田三成の娘(つまり妙心寺寿聖院の宗享和尚の兄妹)を娶っていた関係で婚姻話が出たものと思われる。
  • 町野幸和の父、町野繁仍は日野領主であったころから蒲生家に仕えた武将で、鶴千代と名乗っていた頃の氏郷が織田家に人質に出された時も従っている。氏郷が松阪に移封された際には山田奉行として伊勢神宮の支配に関与している。町野繁仍の妻は蒲生氏郷の乳母であり、町野幸和は氏郷の乳兄弟にあたる。
  • 町野幸和は氏郷が会津を領すると父とともに猪苗代城に入り、のち二本松城に入っている。父町野繁仍(左近)は1万8千石を領し、13人の城主の一人として名前が出ている。
  • 慶長18年(1613年)に蒲生秀行が死亡し忠郷が跡を継ぐと、岡重政が失脚。蒲生騒動で出奔していた蒲生郷喜・蒲生郷舎らが帰参し、町野幸和と激しく対立するがこの時は蒲生郷喜らが放逐されている。
  • 寛永3年(1626年)町野幸和は、10年前に争って失脚させた蒲生郷喜、蒲生郷舎兄弟と再び対決して今度は反対に失脚してしまう。
  • 祖心尼は、浪人となった夫町野幸和と共に江戸に移住する。
    なお蒲生家は、ほどなく寛永4年(1627年)に忠郷が嗣子なくして死亡する。しかし、家康娘の振姫の子であることを考慮され、忠郷弟の蒲生忠知を後嗣として伊予松山24万石への存続を認められている。
  • 町野幸和は、寛永9年(1632年)5月に徳川家光に仕え、寛永11年(1634年)には鉄砲頭になり同心50人を付けられ、甲斐国内に5000石を賜り、布衣の着用を許されている。

大奥へ  

  • 祖心尼はその後、義理の叔母にあたる春日局に呼ばれ大奥に出仕するようになり、春日局の補佐役として江戸幕府3代将軍徳川家光に仕えた。
    春日局
    春日局は、父が斎藤利三、母が稲葉良通(一鉄)の娘。斎藤利三は明智光秀の重臣となるが本能寺の変後に捕らえられ処刑される。春日局は母の父一鉄の庶長子である稲葉重通(つまり叔父)の養女となる。この稲葉重通の子で、外祖父の牧村氏を継いだのが祖心尼の父牧村利貞である。

出家  

  • のち家光の勧めもあって寛永20年(1643年)に出家、祖心尼と名乗った。※同年9月に春日局が没している。
  • やがて家光は、祖心尼に対して幕府祐筆の大橋龍慶屋敷跡を寺領として寄進し寺院建立を指示し、祖心尼を開基として済松寺が建立された。尼寺の行方を心配した家光は、慶安3年(1650年)に寺領を345石を与え、さらに寛文3年(1663年)には京都の妙心寺雑華院から水南法宿和尚を迎え開山としている。

    嚴有院様(家綱)御代寛文三年、祖心事奉願済松寺御建立之儀は、大猷院様(家光)厚き思召を以御建立被爲在候は、尼寺に向は末々如何と奉存候。京都妙心寺塔頭雑華院水南和尚は祖心因縁も有之、第一道徳兼備之僧に御座候得は、済松寺住職被仰付被下置候様奉願候處、願之通被仰付、同年四月十二日入寺仕、同十五日於白書院初住之恩禮御目見被仰付、壹束壹巻献上仕候。中興開山七世頑石大和尚、寛保二年十二月六日寂。寛政九年七月廿八日、仙洞御所から禅師號を賜はつた。開基祖心首座尼大姉、延寳三年三月十一日寂。舊境内拝領地八千七百十五坪、外添地千五百十七坪、御朱印寺領三百四十五石三斗餘。

  • 慶安4年(1651年)4月、家光は臨終の際にも祖心尼を呼び、「わが身は日光に葬られても、わが心は済松寺に留まる」と言い残したという。
  • 延宝3年(1675年)3月11日、88歳で歿。


祖心尼の系譜  

    寿福院千代保
      ├─────前田利常──前田光高──前田綱紀【加賀前田家】
      │   前田長種
    前田利家    ├────前田直知
      ├────┬幸      ├─前田直正【前田対馬守家】
    芳春院まつ  └前田利長   ├─前田直成(町野直成)
                   │
稲葉一鉄─┬稲葉重通─┬牧村利貞──祖心尼     徳川家光【将軍家】
     │     └一宙東黙   │        ├──千代姫
     │             ├─おたあ    │    │
     │     町野繁仍──町野幸和 ├───お振の方   ├──徳川綱誠
     │    石田三成─┬重家(宗亨)│        徳川光友【尾張徳川家】
     │         └娘     │
     ├稲葉貞通【臼杵藩】 ├────岡吉右衛門
     │        ┌岡重政
     ┝━━稲葉正成  └岡左内
     └娘   ├──稲葉正勝──稲葉正則【相模小田原藩稲葉家】
      ├──春日局
    斎藤利三

娘:おたあ  

  • 祖心尼と町野幸和の娘おたあは、蒲生家臣であった岡重政の子である岡吉右衛門と婚姻する。
  • 岡半兵衛重政は藩主蒲生秀行の信任厚く仕置奉行を務めている。
    岡左内
    岡重政の兄が、蓄財で有名な岡左内(岡野左内定俊)。もとは若狭太良庄城主の家系だが、若狭を出て蒲生氏郷に仕えた。のち上杉家に仕え、さらに上杉家が会津120万石から米沢30万石に転封されると再び蒲生家(秀行)に仕えている。利殖に巧みで、部屋中に金銭を敷き詰め、裸になって昼寝をしたという逸話が伝わる。
  • 岡重政は秀行の死後も藩主蒲生忠郷を補佐し、藩政を取り仕切る。しかし、蒲生忠郷の母である正清院振姫(秀行の正室。徳川家康の三女で徳川秀忠の妹)と藩政をめぐり対立し、振姫が家康に訴えたため、岡重政は駿府に召還され切腹処分となった。
    正清院振姫
    正清院振姫は、父家康の命により紀伊和歌山藩2代藩主の浅野長晟と再婚し、浅野光晟を産んでいる。
  • 岡重政の死後、息子の岡吉右衛門は祖心尼の夫町野幸和に保護され、町野幸和と祖心尼夫妻の娘である、おたあと結婚した。
  • この夫婦に生まれた娘が、後のお振の方(自証院)である。
  • なお岡吉右衛門の母(お振の方の祖母)は石田三成の次女であり、お振の方は三成の曾孫にあたる。吉右衛門の子孫は千代姫の縁で尾張藩士となった。

孫娘:お振の方(自証院)  

自證院殿 於振 千代姫君母堂
蒲生飛騨守氏郷之臣某子女
寛永三年丙寅三月、大奥勤、後賜百六十石
同十七年庚辰八月廿一日、綜貫作廿八日死、葬送
牛込榎町、日蓮宗法常寺、後移寺於市谷改自証寺
寛文年中、又改名円融寺自証院、元禄年中為廃地
東叡山公弁親王、依願為穎地、改天台宗
自証院光山暁桂大姉 附二百石

  • 3代将軍家光は、男色を好み女性を近づけなかった。これに気を病んだ春日局が画策したのが、祖心尼の孫娘であるお振の方を男装させて家光の側近くに置くことであった。
  • こうした経緯で寛永3年(1626年)にお振の方も大奥に入り、寛永13年(1636年)家光の手がつき、初めての側室となっている。
  • お振の方は寛永14年(1637年)に家光の初子である千代姫を産むが、体調を崩し3年後の寛永17年(1640年)8月28日に死去した。

    この日千代姫君の御生母ふりの局うせらる。
    この局の父を岡吉右衞門といひ。母はのちに尼となりて。龍光院といひしとぞ。(一書に吉右衞門が父は半兵衞といひ。兄左内は蒲生家につかへてさる剛のものなりしかば。のちに叙爵して越後守といふ。弟町野庄左衞門。これも蒲生家につかふ。
    局の母はたあといひ。祖母は祖心といひ。町野長門守幸和がつまとなり。幸和うせて御所に宮づかへし。尼となりて祖心といふ。幸和がもとにて設けたる女子たあを。岡吉右衞門が妻となし局をうめりとあり。さらばこのたあは即ち龍光院の事なるべし)この局うせて自證院と諡らる。市谷に一寺を建られ自證院と號し。佛具料二百石の地をよせらる。(牛込榎町にありし法常寺といひしを。この局の爲に市谷に引移され。其はじめは自證寺といひしが。寛文の頃圓融寺自證院とあらたむ)局に賜りたる百六十石の現米は。母龍光院にくだされき。(龍光院うせて後。局の妹町野壹岐守幸宣妻かな。次の妹町野傳左衞門が妻やつに賜はり。町野が家。元祿二年の八月に罪ありてのぞかれしかば永く斷たりとぞ)

曾孫:千代姫(霊仙院)  

御簾中千代姫君大猷院殿御長女
御母自証院(家光妾岡氏)町野長門守幸和養女
寛永十四年丁丑閏三月五日於江戸御誕生、
一、元禄十一年戊寅十二月十日於江戸市ヶ谷御屋
敷御逝去、御法号霊仙院殿、葬于増上寺

  • 寛永14年(1637年)閏3月5日、家光とお振の方の間に生まれた千代姫は、同年7月16日に宮参りを行い、天海により「千代姫君」と命名される。

    この日申刻姫君生れ絡ふ。御母は岡氏。ふりの局といふ。後に千代姫君と申はこれなり。この時御蟇目は石川主殿頭忠綱。矢取はその子上野八郎左衞門貞當。箆刀は井伊掃部頭直孝役す。』又姫君には越後の藩醫吉田機庵宗活を召て御藥を奉らしむ。

    千代姫(霊仙院)
    家光の子女の中で家光の血筋を現在にまで伝えているのは、女系の千代姫の血筋のみであり、信受院三千君を通じて二条家、九条家を経て大正天皇皇后となった九条節子(貞明皇后)を通じて今上天皇にも繋がる。
     千代姫には3人の弟(家綱、綱重、綱吉)がいたが、家綱は実子がなく、綱重の系統は孫の代で断絶し、綱吉には鶴姫と徳川徳松の1男1女がいたが2人とも早世したため、家光の男系子孫は現存しない。
  • 寛永15年(1638年)2月20日に尾張藩2代藩主の徳川光友と縁組し、翌寛永16年(1639年)9月21日に婚姻した。
  • 3代将軍家光の長女の結婚であり、その婚礼は非常に華やかなものであったと伝わる。この時、祝儀として家光より名物五月雨江」、「後藤藤四郎」、「上野貞宗」、「大森藤四郎」が尾張徳川家へ贈られている。

    廿八日干代姫御方西城の奧へまうのぼりたまふ。右兵衞督光友朝臣もまうのぼられ。白木書院にて御對面あり。眞守の太刀。時服五十。卷物五十。銀千枚獻ぜらる。大納言義直卿も定利の太刀。時服五十。綿五百把。金百枚さゝげらる。御盃つかはされ。光友朝臣へ五月雨郷の御刀。吉光の御脇差を引出物し給ひ。義直卿へ貞宗の御刀。大森吉光の御脇差をつかはさる。

    この千代姫所用の婚礼調度は現存し、昭和28年(1953年)に旧国宝指定、平成8年(1996年)に新国宝に指定されている。徳川美術館所蔵。婚礼調度類〈(徳川光友夫人千代姫所用)/〉 文化遺産オンライン

  • 尾張藩主徳川光友と千代姫の間には、長男綱誠、長女豊姫(早世)、次男義行(後の高須藩主)、次女直姫(早世)が生まれた。
  • 千代姫は高田に住していた。寛文元年(1661年)11月28日、及び寛文6年(1666年)12月9日に牛込で火事が起きた際には、見舞いを遣わしている。

    夕方牛込邊火あるにより。千代姫御方第に留守居本多美作守忠相つかはさる。酒井忠勝入道空印が隱宅に火及びしかば。使番下曾根三十郎信由。小納戸三宅市右衞門康廣遣はさる。

    牛込榎町市店より失火し。頗大火に及ぶ。よて千代姫御方の第宅に。留守居本多美作守忠相をつかはさる。

  • 貞享元年(1684年)11月3日には、市谷に移っている。

    千代姫御方。市谷の第へ引移り給ふによて。奧より御使もて。銀二百枚。綿百把つかはされ。

  • 千代姫は家光の長女であり、異母弟に歴代将軍がいたことから頻繁に江戸城に登城しており、また贈り物の往来も頻繁に行っていることが徳川実紀でわかる。
    • 嚴有院殿御實紀:100回+88回+89回
    • 常憲院殿御實紀:23回+29回
  • 霊仙院千代姫は、元禄11年(1698年)12月10日に62歳で死去。増上寺に葬られた。

    千代姫君御なやみの事により。諸大名。諸 右司御けしきうかゞひにまうのぼる。しかるに姫君昨日うせ給ひしをもて。音樂をとゞめらるゝ事七日なり。

牧村家  

  • 祖心尼の父が継いでいた牧村家の家督は、嫡子牛之助(祖心尼の実弟)が幼少であったため、稲葉重通の四男道通(牧村利貞の弟)が継いだ。
  • 伏見城築城で功を上げ、5700石を加増、従五位下、左近蔵人に叙任される。関ヶ原では東軍に与し、功により2万石を加増され伊勢田丸4万5700石を領した。
  • 甥の牛之助が15歳になったが家督を譲らず、不満に思った牛之助が幕府へ訴え出ようとするとこれを殺害する。しかしその半年後に道通も急死した。
  • 家督は嫡子の稲葉紀通が継ぎ、摂津中島から丹波福知山へ移封されている。しかし、狩りの獲物が得られなかったとして住民60人を殺害、さらに福知山城の空堀に水を満たすなど、様々な不調法があったとして慶安元年(1648年)に江戸に出府の上弁明を行うよう命じられる。幕府が近隣大名に動員準備を命ずるなど緊迫する中、紀通は8月20日に福知山城中にて自害して果てた。享年46。福知山藩稲葉家も改易となった。

一宙禅師  

  • 一宙東黙。
  • 祖心尼の父牧村利貞の実弟で、祖心尼の叔父にあたる。
  • 天正11年(1583年)、実兄牧村利貞の開基により妙心寺に雑華院を開き、のち慶長6年(1601年)には前田玄以の帰依により蟠桃院を創建する。
  • のち妙心寺七十九世となり、諸大名の帰依を受ける。
  • 元和9年(1623年)70歳で示寂。
  • 寛永16年(1639年)には明正天皇より本源自性禅師の勅諡号を賜っている。

稲葉重通 

  • 稲葉重通の家督は、慶長3年(1598年)に稲葉通重が継いでいる。
  • 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、叔父の貞通と共にはじめ西軍に属し、後に東軍に寝返った。そのため、戦後に所領を安堵された。
  • ところが慶長12年(1607年)12月、天野雄光や津田信成ら数名と京都の祇園で遊んでいたとき、酒乱のために茶屋、後藤などの富商の婦女を強引に茶店に引き入れ、酒を飲ます等の乱行を起こしたため、幕命により改易され、常陸国筑波に流罪とされた。清水藩は廃藩となった。
  • 元和4年(1618年)6月、配所の筑波にて死去した。嫡男の稲葉通勝は稲葉正勝の家臣となっている。

稲葉宗家  

  • 稲葉一鉄の家督は、正室の子である稲葉貞通が継いだ。この家系は臼杵藩主となり明治まで続いた。ただし、春日局の夫であった稲葉正成(林氏よりの養子)の家系が譜代大名として栄えたのに対し、稲葉宗家は外様大名に留まった。

枯木猿猴図屏風  

紙本墨画猿猴図
長谷川等伯筆
重要文化財
妙心寺龍泉庵所蔵(京都国立博物館寄託)

  • 等伯の絵の中でも人気の高い作品。
  • もとは六曲一双であったが、現在は右隻の右側四扇分だけが2幅の掛軸装になって残っている。
  • 裏面に妙心寺雑華院十一世の暘山楚軾(ようざんそしょく)の墨書が入っている。
  • 加賀藩二代藩主前田利長の所蔵で、利長はこれを枕子屏風として愛蔵していたが、ある時夢の中でこの猿猴図に描かれた手長猿が絵の中から手を伸ばし利長の髪を掴もうとしたため短刀で猿の手を斬り落としたという。
  • 慶長19年(1614年)に利長が亡くなると、枯木猿猴図屏風は養女であった祖心尼に贈られた。
  • さらに、一隻は妙心寺雑華院に移され、もう一隻は蔭涼山済松寺に残った。後者の済松寺のものはその後火災により焼失してしまう。
    蔭涼山済松寺は、将軍家光が祖心尼を開基として建立した寺院。のち妙心寺雑華院から水南法宿和尚(心印正伝禅師)を迎え開山としている。

    妙心寺雑華院は、祖心尼の叔父にあたる一宙東黙の開山。開基は実兄(祖心尼の実父)牧村利貞。
  • 妙心寺雑華院の一隻は、暘山楚軾により天保6年(1835年)に掛軸装へと改装されている。
  • のち妙心寺龍泉庵が建て替えられた際に、落慶法要の祝いとして雑華院から龍泉庵に贈られ、現在に至る。
  • 明治42年(1909年)9月22日旧国宝重要文化財)指定。

    甲種四等 繪畫
    紙本墨畫猿猴圖等伯筆 二幅
    京都府花園村 龍泉庵
    (明治42年 内務省告示第百十六號)

関連項目