小此木信六郎
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小此木信六郎(おこのぎしんろくろう)
医師、愛刀家
- 医師で、日本の耳鼻咽喉科草創期に功績のあった人物である。
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生涯
- 安政7年(1860年)生まれ
- 弟は、刀剣研究家として高名な小此木忠七郎。
- はじめ福島須賀川の医学校に入り、明治9年(1876年)東京医学校の予備門(旧制第一高等学校の前身)に入学し、東京大学医学部に進む。
- 明治21年(1888年)に退学してドイツに渡り、テュービンゲン大学に学ぶ。明治24年(1891年)同大学卒。
- 明治29年(1896年)6月帰国。
- 同年8月に東京神田南甲賀町10番地に小此木耳科医院を開業する。
- 自宅で耳科学の講習会を開き、のち長谷川泰の設立した済生学舎において明治29年(1896年)ごろ耳鼻咽喉科の講義を開始。日本医科大学では、これを耳鼻咽喉科・頭頸部外科の基礎とし、耳鼻咽喉科学教室の開講としている。
- 東京耳鼻咽喉会に入会して副会頭となっている。
- のち、済生学舎は旧制日本医学専門学校の時代を経て、1926年(大正15年)の大学令によって旧制日本医科大学となる。この時、小此木は理事長として大学化に尽力する。
- 昭和2年(1927年)11月、初代学長であった中原徳太郎が腫瘍でなくなると、日本医科大学第2代学長となった。
- しかし激務がたたったのか、心筋梗塞が悪化して学長に就任して間もない昭和3年(1928年)1月に急逝した。
蔵刀
- 小此木信六郎の所持刀としては、下記が知られる。
- 高木貞宗太刀
- 小笠原家伝来。大磨上無銘、古折り紙附。本阿弥長識鞘書。
- 雲次刀
- 折返し銘の宇甘雲次の刀
- 備前国貞太刀
- 丹羽家旧蔵の備前次郎国貞の太刀。二字銘。
- 栗原信秀
- 栗原信秀の半太刀大小拵 ※栗原信秀は源清麿の高弟
- 備前宗光刀
- 無銘三原との大小拵
- 埋忠明寿刀
- 寛永年紀銘
- 祐定短刀
- 備前長船与三左衛門祐定、大永年紀銘、真の倶利伽羅。今村長賀遺愛。真の倶利伽羅の彫物がある細直刃短刀。震災で焼身となってしまう。信六郎は、新藤五に見紛う出来と称されたこの刀を焼け跡から拾い出し、研ぎ上げたうえで愛蔵したという。
- 釣鐘切国行
- 伊予西条藩松平家伝来の釣鐘切国行。桐紋天正金物の糸巻拵、鍔信家、目貫祐乗
- 一文字太刀
- 在銘
- 虎徹刀
- 水戸徳川家伝来
- 長光国重
- 長光・国重の大小
- 祐定広正
- 祐定・広正の大小
- 盛光
- 備前盛光の刀に府川一則金無垢拵え
- 兼定刀
- 肥後拵附
- 延寿刀
- 延寿国時の刀
- 則光刀
- 備前則光の刀
- 来国俊
- 五条国永
- 新藤五国光
- 短刀
- 来国光
- 短刀
- 筑州左
- 短刀
- 相州広光
- 短刀
- 備前兼光
- 短刀
- 粟田口国吉
- 短刀
関連項目
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