三原(刀工)
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三原(みはら)
備後の刀工集団
三原派
- 三原正家に代表される備後の刀工集団。
Table of Contents |
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古三原
- 備後三原派は無銘が多く、古くは下作とされた。
- しかし応仁文明ごろに実戦で使用され切味が良いことがわかると、評価が高まった。
三原正家
- 御調郡三原庄に住した刀工集団。
初代正家
- 中でも初代正家は元祖、または中興の祖と呼ばれる。正和(1312-1317)ごろ。
- 左衛門尉と称す。
- 銘は、備州住正家、備州住左衛門尉正家、二字正家など。
その他
- 貞治(1362-1368)ごろの正家を「親正家」、永和(1375-1379)ごろの正家を「子正家」とも分類する。
- その後も、延文(1356-1361)ごろに左衛門尉、天授(1375-1381)ごろに兵庫助と切ったものがある。
- 二代の銘は、備州住正家、兵庫助藤原正家など。
- 大天狗正家
- 江戸幕府の将軍家剣術指南役、大目付を務めた柳生但馬守宗矩の所有した刀。宗矩は大坂の役で将軍秀忠のもとで従軍しており、徳川軍の案内役を務め秀忠の元に迫った豊臣方の武者7人(人数に異同あり)をこの「大天狗正家」で瞬く間に倒したという。
正廣
- 正家より後の正廣(正広)を「後の三原」とも呼ぶ。
- 正廣は初代正広の子という。銘は備州住正廣、備州住左衛門尉正廣。
- 二代正廣は応永ごろ。また永正、永禄ごろに同名数工あり。
貝三原
- 末三原の後半に「三原住貝」と切るものが現れた。
- 二代正家の孫の正宗がはじめて「貝」の字を添えたといい、この一派を貝三原と呼ぶ。
二目貫
- ふためぬき。
- 目釘孔を2ツ並べて穿つのみで刀工銘を切らない。二つ目抜とも。
- 徳治ごろ。
- 深津山城守の作もという。
- 駿河または備後。
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