新身藤四郎

  • 大坂新身藤四郎と江戸新身藤四郎がある。

大坂新身藤四郎(おおさかあらみとうしろう)  

短刀
名物 大坂新身藤四郎

  • 享保名物帳所載(ヤケ)

    大坂新身藤四郎 在銘長九寸三分 不知代 大坂御物
    鍛冶の盡にて有之故新身と名付、表裏護摩箸、元朝倉左金吾所持、信長公へ上る、後ち秀頼公御物となり元和元年焼ける

由来  

  • 新身のような出来であるため。
  • 永徳銘盡に「アラミ藤四郎ト云アリ」と書かれており、永徳年中(1381年から1383年)にはすでにこの名で呼ばれていたことがわかる。

来歴  

  • 元は越前朝倉義景所持で、のち織田信長に贈られたという。
    • 享保名物帳では天正元年(1573年)の朝倉滅亡時に分捕りとしているが、元亀元年(1570年)の姉川の戦いののち将軍義昭の斡旋を受け勅命により朝倉浅井同盟軍と和睦した際に贈られたものとされる。
  • 天正8年(1580年)2月22日、中国から戻った秀吉を慰労するため、信長は茶会を催し、その時に披露された脇差14振り、刀8振りの中にこの大坂新身藤四郎も含まれている。

    アラミ藤四郎 (天王寺屋会記

  • のち秀吉に伝わり、秀吉はこれを一之箱に納めた。

    一之箱 あら身藤四郎(豊臣家御腰物帳

  • 太閤御物刀絵図には、新身藤四郎が3つ載っている。

    あらみ、からす丸殿あらミ藤四郎、九寸五分、むねきり。銘吉光
    あらみ。短刀 銘吉光
    御物、あらミ、九寸三分、ヤ、あらミ藤四郎。短刀無銘

    • 享保名物帳所載の大坂新身藤四郎は、長さから考えると一番最後の9寸3分のものとなるが、「無銘」と書かれている。享保名物帳では「在銘」。
  • 大坂落城の際に焼ける。
  • 徳川家により再刃され、「本阿弥光徳刀絵図」や「本阿弥光柴押形」に押形が残る。光徳の方では直刃で「ヤ(焼け身)」の文字が記されるが、光柴の方では中程まで丸い五の目乱れ、それより先は直刃と書かれており、後者が焼ける前の姿であるとされる。
  • 駿府御分物帳には御脇差(大坂焼物)の部に大坂新身藤四郎として記載。




江戸新身藤四郎(えどあらみとうしろう)  

短刀
銘 吉光
名物 江戸新身藤四郎

  • 享保名物帳所載(ヤケ)

    江戸新身藤四郎 在銘長九寸五分 不知代 御物
    恰好丈夫にて新身の如く成る間、大坂新身に准して名付、表裏護摩箸、裏の方少し短し、京都将軍家御重代なり其以後大坂本願寺所持、烏丸殿へ進せらる。木村常陸介求め秀吉公へ上る、秀頼公へ御伝へ秀忠公へ進せらる、利長公拝領又御成のとき上る其刻平野拝領なり

由来  

  • 大坂新身藤四郎に準じて「江戸新身藤四郎」と名付けられた。

来歴  

足利将軍家  

  • もとは足利将軍家所持。

本願寺・烏丸家  

  • 義輝が大坂石山本願寺から借金をした礼としてこれを贈り、本願寺ではこれをおなじ日野家の支流である烏丸家に贈っている。
  • 本阿弥光徳は同家にあるときに押形を取ったと見え、「本阿弥光徳刀絵図」寿斎本には「あらミ藤四郎 からす丸殿」との注記がある。

木村常陸介・秀吉  

  • 木村常陸介が、堺の商人の仲介で烏丸家から譲り受け、代金七十枚を支払った。木村はこれを秀吉に献上している。
  • 太閤御物刀絵図には、新身藤四郎が3つ載っている。

    あらみ、からす丸殿あらミ藤四郎、九寸五分、むねきり。銘吉光
    あらみ。短刀 銘吉光
    御物、あらミ、九寸三分、ヤ、あらミ藤四郎。短刀無銘

    • 享保名物帳所載の江戸新身藤四郎は、一番最初の9寸5分のものとなる。

秀忠  

  • 慶長6年(1601年)2月7日、秀頼は大坂の西城に来ていた秀忠にこれを贈っている。

前田利長  

  • 秀忠は間もなくこの「江戸新身藤四郎」と「別所貞宗」を前田利長に下賜している。

前田家→将軍家  

  • 慶長18年(1613年)正月14日利長遺物として献上。

    又加賀中納言利長卿病やゝ重りしとて沒前に使を奉り。得物とて郷の刀。新身藤四郎の脇差を獻じ。

前田家→将軍家  

  • この間に前田家に下賜。
  • 元和3年(1617年)5月13日、前田邸に将軍秀忠が渡御の際に、前田利常から秀忠に献上。その際に前田利常平野藤四郎を拝領している。

    (元和三年五月)十三日松平筑前守利常の邸に渡御あり。まづ露路口より茶室にならせられ御膳を奉る。日野亞相入道唯心。藤堂和泉守高虎御相伴に參る。御膳部藤堂和泉守高虎御相伴に候す。引替の御膳奉り。貞宗の刀。新見藤四郎の脇差を獻じ。
    (徳川実紀)

    五月十三日、公、松平筑前守利常カ家ニ渡御アリ、御太刀守家、御刀一文字、御脇差平野藤四郎(略)利常ニ賜ル
    太刀守家、刀貞宗、脇差新身藤四郎(略)利常是ヲ献ス
    (東武実録)

    太刀守家、自是已下銘付迄書スルハ代金等不知品ナリ、御腰物一文字、御脇差平野藤四郎無代也、是瑞龍公賞被献シ物ナリ(略)ヲ賜フ、公ヨリ御太刀守家、御刀貞宗、御脇差新身藤四郎(略)ヲ被献
    (加賀藩歴譜) ※瑞龍公は利長

将軍家  

  • 正保2年(1645年)4月23日、将軍家光の世子家綱が元服した際に、家光はこれを家綱に授けている。

    大納言殿(家綱)より長光の御太刀。時服二十。銀三百枚。黒毛馬一匹進らせ給ひ。御三獻ありて。御所より紀新大夫御太刀。新身藤四郎の御さしぞへ進らせらる。

  • こちらは明暦の大火で焼けているが、その後焼き直されたのか、刃紋の格好の異なる押形が「継平押形」に掲載されている。

    新身藤四郎 加賀利長殿御進上 九寸五分(目釘孔2個)

  • また徳川家の「御腰物台帳」では「焼き直し御道具」十三振りのなかに義満の脇差があり、これが江戸新身藤四郎であるとされる。
  • 差表の鎺元に五の目がひとつあったが、焼き直したものでは失われているという。また鋩子の形も違うものとなっている。

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