朱判正宗
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朱判正宗(しゅはんまさむね)
脇差
名物 朱判正宗
一尺二分
- 相州正宗極めの脇差
- 金五百枚の折紙つき
- 平造り、表裏に刀樋。鋩子尖る、中心うぶ、目釘孔2個。
由来
- 朱判にちなむ。
来歴
- 万治元年(1658年)閏12月10日、前田綱紀が襲封の御礼に、祖父利常の遺物としてこの正宗を献上する。
前田綱紀 加賀守 利常の孫 致仕肥前守 松雲院 寛永二十年生る、正保二年八月廿一日襲封を謝するの時、新藤五国光の御脇差を賜ふ、此日父(光高)が遺物秋田正宗の刀、密庵の墨跡、この村肩衝の茶入を献ず、万治元年閏十二月十日、祖父(利常)が遺物朱判正宗の脇指、漢瓢箪の茶入、定家筆の伊勢物語を献ず
(寛政重修諸家譜)
- 貞享2年(1685年)3月6日、5代将軍綱吉の娘鶴姫が紀州徳川家綱教に輿入れした挨拶で登城した際に、この正宗と郷義弘の刀(松井江)を拝領した。
○六日紀伊邸に阿部豐後守正武御使し。(略)。御盃下さるゝ時。綱教卿へ御引出物とて。義弘の御刀。朱判正宗の御脇差たまひ。光貞卿に當麻の御刀。武藏正宗の御脇差たまふ。
- 昭和23年(1948年)ごろには大塚肇氏蔵となっている。
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