新身
新身(あらみ)
- 刀身が健全なこと。
- 新刀のこと。
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1.新身(あらみ)
- 「新身」とは、鍛造から年月を経ているにも関わらず、まるで打ち下ろしそのままかのように刀身が健全であることを表す。
- もともと「新身」という言葉には新刀の意味はなく、新たに鍛えた刀という、今で言う”現代刀”的な意味合いで使われていた。例えば室町時代の「鈴鹿家記」では「両人えあらみ刀脇指くれ申候」と古身(ふるみ)の対義語として使われている。
もっと言えば「新身(あらみ)」とは刀剣用語ではなく、例えば材木などでも伐採したてのものを指す言葉として使われてきたのだという。 - しかし主に戦国時代頃に刀剣鑑定が確立してくると
古身 は「古刀 」と呼ばれることが多くなっていった。
- もともと「新身」という言葉には新刀の意味はなく、新たに鍛えた刀という、今で言う”現代刀”的な意味合いで使われていた。例えば室町時代の「鈴鹿家記」では「両人えあらみ刀脇指くれ申候」と古身(ふるみ)の対義語として使われている。
- その特徴から「
新身 」と号された刀が、名物にも複数存在する。
- 新身来国光
- 享保名物。保科正之から将軍家。重要文化財指定。
- 新身国行
- 尼子家重代。山中鹿之介が毛利家に捕縛された際に所持していた刀。秀吉に献上された。
- 大坂新身藤四郎
- 享保名物。越前朝倉家、信長、秀吉。駿府御分物。
- 江戸新身藤四郎
- 享保名物。足利将軍家、秀吉、将軍家、前田家、将軍家。
2.新刀(しんとう)
- 新刀期とは、慶長元年~宝暦13年(1596~1763年)に作刀されたものを指す。
- 江戸初期~中期までは、当時の人々にとっては同時代である「慶長以降に作刀された刀」に対する一般名称はなく、単に「新身」(つまり、打ち下ろしの刀)と呼ばれていたとされる。
「新刃」の始まり
- 享保6年(1721年)の神田白龍子の「
新刃銘尽 」、享保14年(1729年)の「続新刃銘尽」が出された当時、慶長元年以降に作刀された刀(いわゆる新刀)のことを「新刃」と書いて「あらみ」と呼ぶことが流行した。ただし古刀と新刃を区別する時期については曖昧なままであった。
- なお8代将軍吉宗も同様のことを述べ、新刀奨励を行っている。
されども世人專ら古刀を貴ぶの弊ありて。 新製は利刀にても。 好む人少きに至れり。 (略)刀工玉置小市安平。 宮原正清をめされ。 濱の御庭にて新刀をうたしめられ。
- この当時、本阿弥家の代附(代付け)は慶長までの作刀に対してのみ行っており、慶長以降の作刀に対しては代附を行っていない。
- この本阿弥家の代附の有無がすなわち古刀と新刀の違いであり、当時は代附の付かない新刀には特別な(骨董的な)経済的価値はなかったと思われる。
「新刀」の一般化
- 慶長以降の刀を「新刀」と呼ぶと決定的に定義したのは安永6年(1777年)の鎌田魚妙著「慶長以来新刀弁疑(しんとうべんぎ)」であった。
- その後「新刀一覧」などの書物も発行され、その中でより具体的に「慶長以来」のものを新刀というようになり、明治頃には「古刀」に対する「新刀」という呼び名が一般化したといわれている。
関連項目
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