御牧勘兵衛


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 御牧勘兵衛(みまきかんべえ)

室町時代後期の武将
御牧景則(みまきかげのり)
三牧とも

 概要

  • 御牧勘兵衛は山城国久世郡御牧(現久御山町)を領した御牧氏の生まれ。
    なお「御牧」とは古代朝廷のために設けられた牧場のことであり、甲斐、信濃、武蔵など各地にあった。久御山町の町名は「久世郡」「御牧村」「佐山村」から取られた。

 御牧の地

  • この周辺は巨椋池の周囲に古くより開け、平安時代には皇室領として美豆(みず)に御牧が設けられている。

    かりてほす美豆の御牧の夏草は しげりにけりな駒もすさめず(順徳帝御製)

    「美豆」は桂川と宇治川に挟まれたエリアでJRA淀競馬場の西側。現在は久世郡淀町になっている。

  • 「巨椋池」は、京都南部にかつて存在した淡水湖で、周囲16km、水域面積は約8平方kmあったとされ、池というよりも湖と呼ぶほうがふさわしい規模を持っていた。
  • 平城京と平安京の間に位置しており、古代、中世を通じて水上交通の中継地として栄えた。また古来景勝地として貴族や文人に愛され、多くの歌などに詠まれてきた。
    巨椋池の北岸にあたる指月(しげつ)の地は、南に巨椋池を一望する風光明媚な地で平安時代より観月の名所として知られた。「指月」は、空の月、川の月、池の月、盃の月の「4つの月」の意味とされ、貴族の別荘や宮家の御所として栄えた。
     平安後期の“伏見長者”と称された橘俊綱(頼通次男、橘俊遠養子)は、宇治・平等院を開創した父・藤原頼通にならい、「臥見亭」「臥見別業」などと称された伏見山荘を築き、連日のように仲間の公家たちを招き、指月の森や巨椋池の風光明媚な様を愛で、詩歌管弦に耽ったり、酒を楽しんだりしたと云われている。俊綱没後に、伏見山荘は白河上皇に寄進される。伏見山荘が後白河上皇に伝承された際、上皇はここに壮麗な伏見殿(船津御所、伏見離宮)を造営する。さらに、崇光院がこの伏見殿御領を栄仁親王代々の相伝地とし伏見宮家を創設する。それ以後、伏見宮家は伏見殿と称し、指月の伏見殿を上御所、巨椋池の船着場である南浜付近に建てた舟戸御所を下御所とする伏見御所は繁栄を極めたと云う。しかし、室町期の動乱、戦国期の争乱を経て、伏見殿は荒廃の一途を辿っていく。
     豊臣秀吉が関白の位を豊臣秀次に譲った際に隠居屋敷を築いたのもこの地である(秀吉が築城した伏見城の内、始めに建て慶長伏見地震により崩壊した城。この後、秀吉は現在桃山と呼ばれる地に木幡山伏見城を築城した)。
  • 秀吉が伏見城を築き、周囲の街道と堤防を整備した頃から巨椋池は徐々に埋め立てられ、昭和初期に完全に姿を消した。
    • 大正期に哲学者和辻哲郎が巨椋池で蓮見船に乗った思い出をつづった紀行文「巨椋池の蓮」が残る。和辻哲郎 巨椋池の蓮


 戦国期の御牧氏

  • 戦国期には付近を領した御牧氏が御牧城を築き、天正12年(1584年)には城主御牧勘兵衛尚秀が玉田神社(久御山町)を再建している。

 織田家従属

  • その後御牧氏は、織田信長の京都進出に合わせてそれに従属したとみられる。「鶴丸国永」を拝領したとすればこの時代の話になる。
  • 信長の死後、御牧氏は明智光秀、次いで豊臣秀吉に属し、醍醐の花見など様々な行事でその名前を見ることができる。秀吉の死ぬ慶長3年(1598)ごろまで発給文書に名前が見えるが、その後、慶長5年(1600年)には息子の御牧助三郎の名前が山城国久世郡市田村の千石を安堵する書状で登場しており、この頃に家督を譲ったと考えられる。
  • その後の御牧氏の動向は、ようとして知れない。一説には四手井(しでい)氏を名乗ったともいう。

 御牧藩

  • なお同じ頃、御牧の地は信長の一族である津田盛月が3万5千石で与えられている。
    津田盛月は織田氏の一族(信長の叔父織田信次の系統)という。盛月の兄が中川重政といい、その息子が中川光重で加賀前田家に仕えた。
  • 文禄2年(1593年)には盛月の兄の津田信任(盛月の子とも)が継ぐが、まもなく千人斬りの犯人として逮捕され、その後は信任の弟の津田信成が、秀吉から遺領のうち1万3千石を与えられている。
  • 津田信成は慶長5年(1600年)9月の関ヶ原では東軍に属したことから本領安堵され、初代御牧藩主となっている。しかし慶長12年(1607年)に稲葉通重らと京都祇園で遊んでいた際に茶屋の女房などに乱暴狼藉を働いたかどにより御牧藩は改易された。

    この月伏見にて御家人稻葉甲斐守通重。津田長門守元勝。天野周防守雄光。阿部右京某。矢部善七某。澤半左衞門某。岡田久六某。大島雲八某。野間猪之助某。浮田才壽某等士籍を削らる。こは京洛の富商後藤并茶屋等が婦女。祇園北野邊を逍遙せしに行あひ。ゆくりなくその婦女をおさえ。しゐて酒肆にいざなひ酒をのましめ。從者等をばそのあたりの樹木に縛り付刀をぬき。若聲立ば伐てすてんとおびやかし。黄昏に皆迯去りたり。酒肆の者これをみしりてうたへ出ければ。かく命ぜられしとぞ。

 関連項目


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