宗無肩衝


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 宗無肩衝(そうむかたつき)

唐物肩衝茶入
銘 宗無
大名物
徳川美術館所蔵

  • 「住吉肩衝」とも
Table of Contents

 由来

  • 住吉屋宗無の所持にちなむ。

 来歴

 住吉屋宗無

  • 元は、堺の住吉屋宗無所持。

    永禄七年十二月八日朝 住吉屋宗無會
                 宗達  宗久
     爐じやうはり 細くさり 床 かたつき
     右壺は面なだれ二筋あり、一筋は中程まであり、一筋は底まであり、かけ出候、藥面のかたより出候、なだれの露先通りてゆがみとなり、裾細そにあり、地藥黑み候か、口の外へは上藥かゝらず上藥黑くあり、惣じて土あらく、惣ての地藥の心ある也

    天正十二年十一月十七日晝 名護屋にて
         住吉屋宗無御會 宗湛 一人
     三疊敷の内、一疊は上段にして、一枚障子くゞり無し云々。つり棚には肩衝、袋に入れて云々。
     肩衝は藥黑く濃くかゝる、土青めに黑く、口付の筋一つ、藥くゝみてかゝる、土の間一二分程なだれ無し、そゞろ高也。袋はケウロク純子、緒あさぎ、形に委あり、底はつくりかけ也

    文禄二年正月十七日晝 なごやにて
         宗無御會 宗湛 一人
     肩衝は口筋一つ、高大にして胴張る、藥濃く黑し、土の間二三分、底つくりかけ、蓋新なり、つくは柿のへた也、袋は純子小紋から草也、緒つながり紫也

 佐竹義宣

  • その後、出羽久保田藩(秋田藩)主の佐竹義宣(義重の子)の所持となっている。

    宗む肩つき 佐竹佐理殿

    宗無大名物 佐竹修理大夫殿

 佐竹義隆

  • 佐竹義宣の死後、佐竹義隆(佐竹義重の三男・岩城貞隆の長男)が跡を継ぎ出羽久保田藩2代藩主となる。寛永10年(1633年)2月26日に襲封を謝して挨拶の時に、養父・義宣の遺物として住吉肩衝の茶入、籠の花入、長光の刀を献上している。

    寛永十年二月二十六日遺領を継ぎ三月二十八日襲封を謝す、此日父の遺物、住吉肩衝の茶入、籠の花入、及長光の刀を獻ず、

  • その直後、5月8日に始めて帰国を許された際に、住吉肩衝を拝領する。

    五月八日始めて入國の暇をたまひ、先きに奉りし住吉肩衝の茶入を恩賜あり

 将軍家

  • 佐竹義隆の死後、寛文12年(1672年)に佐竹義処(佐竹義隆の次男)が跡を継ぎ襲封の挨拶の際に父・義隆の遺物として利恆の太刀、備前長光の刀、宗無肩衝を将軍家綱に献上した。

    寛文十二年二月廿一日襲封を謝す、此日父の遺物、利恆の太刀、備前長光の刀、及宗無肩衝の茶入を獻ず。

 尾張家

  • 宝永6年(1709年)の綱吉薨去後の形見分けで、尾張徳川家・徳川吉通に贈られた。

    綱吉公御遺物 尾張中納言殿へ
     御脇差 一庵正宗 代金二百枚
     御茶入 宗無肩衝
        御使 土屋相模守

 尾張家代々

  • その後、明治まで同家に伝来した。
  • 大正8年(1919年)に高橋義雄が実見している。

    大正八年六月五日、名古屋市東區大曽根町徳川義親侯邸に於て實見す。


 住吉屋宗無(山岡宗無)

  • 住吉屋宗無は山岡宗無ともいう。
  • 名は久永。通称は捨十郎、吉左衛門。別号に南渓。
  • 松永久秀の庶子といい、外戚にあたる堺の酒造業者・山岡宗瑞(屋号住吉屋)に育てられた。

    山岡宗無は堺住吉屋吉左衛門といふ、實は松永弾正久秀の子なりと云ふ、

  • 今井宗久と共に早くより信長に近づき、秀吉には茶頭八人衆の一人として仕えている。
  • 秀吉より400石を拝領し、大徳寺111世の春屋宗園を招いて堺・薬仙寺を開いている。高三隆達の娘と結婚し、子に宗外、孫の安室宗閑は大徳寺の176世住持となっている。一般に文禄4年(1595年)7月15日没とされる。※高三隆達については「久我肩衝」の項を参照

    太閤秀吉に仕へ、四百石を領す、宗易、宗久、宗吸と名を齋うし、藥泉寺を本府に剏む、春屋國師を請ふて第一世とす、紫野安室和尚は宗無の子なり

    金子五枚 住吉屋宗務(宗無)
    秀吉公御遺物

  • 松本茶碗、宗無肩衝、飯銅の茶壺など名器を所持したことでも知られている。
松本茶碗
もとは大内氏が所持していたもので、のち安宅冬康を経て、堺の住吉屋宗無から五千貫で信長に購入され、本能寺で焼けた。
宗無茶碗
松本茶碗同様に信長所持となり、本能寺前日の茶会で披露された。これも本能寺で焼けている。
尺八(花竹入)
尺八切。小田原陣において千利休が韮山竹の優れたものを花入にしたもの。利休死後に打ち捨てられてしまうが、今井宗久が拾い集めて接ぎ合わせて秘蔵、のち住吉屋宗無、伊丹屋宗不

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