大兼光


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  • 同名刀が複数ある。
  1. 享保名物「大兼光」重要文化財、佐野美術館所蔵
  2. 山内家所蔵「大兼光」(今村兼光今村長賀旧蔵、山内家献上。重要文化財、高知県所蔵→「今村兼光」の項参照
  3. 享保名物相馬兼光:一名「大兼光」。→「相馬兼光」の項参照
  4. 紅葉狩加藤清正佩用、秀忠献上→「紅葉狩」の項参照
  5. 武田信虎所持:甲斐武田氏、武田信虎が所持したというが詳細不明。
Table of Contents

 大兼光(おおかねみつ)


金象嵌銘 備前国兼光 本阿弥(花押)
名物 大兼光
2尺7寸5分5厘(83.4cm)
重要文化財
佐野美術館所蔵

  • いわゆる延文兼光の作。
    • 兼光は延文年間(1356年-1361年)頃、南北朝時代の人。長船景光の子。左衛門尉。「延文兼光」と称される。
  • 享保名物帳所載

    大兼光 象嵌銘長二尺七寸九分 代金六十枚 所在不知
    長き故の名なり、秀吉公遺物として利家卿御館にて藤堂佐渡守殿へ下さる、表裏樋、忠(なかご)表に本阿弥、裏に備前

  • 目釘孔1個。
  • 元来大太刀であったものを江戸時代に磨上げ、本阿弥光温が金象嵌で極めを入れたもの。この時に金六十枚の折紙が付いた。
  • 大磨上ながらなおも長大で、反りがあり踏ん張りもついている。

 由来

長き故の名也

  • 享保名物帳では、大きさゆえの名であるとする。享保名物帳の時点ですでに磨上られており、元はもっと長大であったために名付けられた。

 来歴

  • 太閤秀吉の形見分けとして藤堂佐渡守(高虎)に贈られたもの。

    藤堂佐渡守 大兼光
    秀吉公御遺物

  • 後に徳川将軍家に献上し、伝来した。
  • 享保名物帳のころには所在がわからなくなっていたが、明治2年以降に徳川本家に伝わる。
  • 戦後徳川宗家から出る。

    小瀬甫庵の記にも太閤の遺物を記し、大兼光藤堂佐渡守とあり、この刀享保の頃已に所在知れずとあるはいぶかしきことなり。

  • 昭和34年(1959年)6月27日重要文化財指定。
  • 現在は佐野美術館で所蔵されている。


 大兼光(今村兼光

太刀
銘 備前国長船兼光/建武三年丙子十二月日
号 今村兼光
長80.6cm、反り1.9cm
重要文化財
高知県所蔵(高知県立高知城歴史博物館保管)


 相馬兼光

 紅葉狩


 池田家伝来

  • 池田光政の逸話に、「当家に伝わる大兼光があるが、何の用に立つのか。家中の侍共の刀があれば向かうところ敵はなく、大名の身分で刀を頼みにすることは取るに足りないものである」という言葉がある。

    光政曰く、家に持傳たる大兼光何の用にか立べき、家中の士の刀を殘らず用に立させなんに、向ふ敵はあるまじ、大名の身にて刀一腰を頼みにせんには口惜きことの至極なりと。

    大包平」の逸話だと思われる。


 武田信虎所持

  • 武田信虎が「大兼光」という刀を所持したが同じものかは不明。この当時は建武兼光を「大兼光」とも呼んだ。

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