一国兼光


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 一国兼光(いっこくかねみつ)

太刀
銘 備前国長船兼光/文和二二年乙未十二月日
号 一国兼光
二尺四寸九分五厘、反り七分
重要文化財
高知県所蔵(高知県立高知城歴史博物館保管)

  • 初代兼光の作
    • 文和四年は1355年
  • 表裏棒樋をかき流し、腰に細い添樋。中心磨上、表先に長銘、裏に年記銘。
  • 峰に切れ込み痕あり。
  • 黒漆打刀拵が附く。

 由来

  • 紀州徳川家の頼宣が山内家に兼光があると聞き、藤堂高虎に譲渡の斡旋を頼むが、山内忠義は断る。高虎が「もし将軍家がご所望なら如何がなさる」かと問うても「土佐一国に変えても手放さぬ」と答えたために名付けられた。
    山内一豊が所持していたのを、秀吉が所望するも「土佐一国を召し上げられても兼光だけは手放せない」といった逸話も残るが、秀吉在命中は国持大名ではない(遠江国掛川城主6万石弱)であり、話が合わない。

 来歴

  • 寛永13年(1636年)、土佐山内家2代藩主の山内忠義が、2代将軍秀忠の形見として3代将軍家光より拝領したもの。
  • その後は土佐一国にも値すると言われ、土佐山内家に伝わった。
  • 昭和5年(1930年)4月の第2回日本名宝展覧会では山内豊景侯爵所持。
  • 昭和25年、重要文化財に指定。山内豊景侯爵所持。
  • 2004年(平成16年)7月に、山内家19代当主の山内豊功氏から「今村兼光」と共に高知県へ寄託され、「一国兼光」および「大兼光今村兼光)」は旧土佐山内家宝物資料館が保管していた。
    旧土佐山内家宝物資料館は、高知県及び高知市の出資により1995年(平成7年)4月に設立。2015年(平成27年)には高知県立高知城歴史博物館への移管のために展示を終了し、翌2016年(平成28年)3月31日をもって土佐山内家宝物資料館は閉館した。
  • 2018年(平成30年)、山内家より高知県へと寄贈された。

高知県立高知城歴史博物館には、旧土佐藩主山内家由来の兼光が複数所蔵されている。
太刀 銘備前国長船兼光/文和二二年乙未十二月日(号一国兼光)
太刀 銘備前国長船兼光/建武三年丙子十二月日(号今村兼光


 兼光

短刀
銘「備州長船兼光/延文二二年十月日」

  • 山内家には、上の一国兼光とは別に短刀の備前兼光が伝来した。
  • 延文四年は1359年。
  • 二筋樋、梵字、独鈷剣の彫物。目釘孔2個。
  • 山内公爵家伝来。

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