地蔵丸
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地蔵丸(じぞうまる)
刀
備中青江貞次作
- 前田家の重臣今枝民部重直の父今枝忠光が斎藤道三に使えていた頃の話。
- 夜道で出てきた妖女(巨漢とも)をこの刀で斬った。翌朝その場所に行ってみると、斬ったのは妖女ではなく地蔵であったという。
今枝重直
- 今枝重直は、天文23年(1554年)斎藤道三の家臣今枝忠光の子として生まれた。信長、信雄、秀吉、秀次と仕え、文禄3年(1594年)には従五位下内記に叙任。
- 文禄4年(1595年)秀次の没後、前田利長に3000石で仕え重用され、今枝内記(民部)家は加賀藩において1万4000石を領し、代々家老となった。
- 重直には子がなかったため、甥にあたる日置忠勝の五男直恒(母は今枝忠光の娘)を養子に迎えるが、そのことから後々まで今枝家(前田家家老)と日置家(池田家家老)の間で縁組を重ねる間柄となった。
- 今枝重直がまだ美濃に住んでいた頃の話。長良川で鮎を獲っていたときに、通りすがった男に鮎を1匹所望され5匹分け与えたことがあった。後に、重直が諸将と共に安土城で信長に謁見したときに、声をかけて来た男から鮎の御礼を言われた。その男が明智光秀であったという。
地蔵丸
太刀
畠山重忠所用
- 神奈川県中郡大磯町の身代り地蔵尊にまつわる逸話を持つ刀。
- 後鳥羽院の御代、梶原景時の家臣、悪太郎義景というものがこの地蔵尊を深く信仰していた。
- 建久2年(1191年)、鎌倉八幡宮に参拝する源頼朝の行列に突然襲いかかる集団があり、敵味方入り乱れての乱戦となった。このとき悪太郎義景は敵方に間違えられ、畠山重忠に斬られてしまう。
- しかし不思議な事に悪太郎義景の身体には刀傷なく、その代わりに地蔵尊の身体の刀傷があり血が流れていた。これはひとえに長年信仰していたおかげだという噂が流れ、悪太郎義景は赦免されたという。
- 畠山重忠はこの時に使った太刀を「地蔵丸」と名付け、のち同家代々の重宝となったという。
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