善鬼国綱
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善鬼国綱(ぜんきくにつな)
刀
2尺2寸2分(2尺1寸8分とも)
- 代金二十枚の折紙付きともいう。
由来
- 聖護院門跡が大峰入りをする際に、「善鬼」という名の山伏にこの太刀を持たせたためという。
- 古い享保名物帳には、「前鬼国綱」と書くものがある。これは「鬼丸国綱」を作る前に打ったために呼ばれたという。また、役小角は男の鬼の「呪」をもって人間に立ち返らせたという。これを前鬼といい、以後斧をもって役小角を先導したという。大峰山麓の前鬼村はその後裔の部落ともいう。
- また聖護院節分会の追儺式(鬼払い)では、赤鬼、黄鬼、緑鬼が現れ、年男・年女から豆を投げつけられる。その後修験者の験力により鬼は「善鬼」へと生まれ変わる。
来歴
- 「善鬼国綱」は、古くより聖護院にあったものだという。
聖護院は現在京都市左京区聖護院中町にある本山修験宗総本山。寛治4年(1090年)、増誉は白河上皇の熊野詣の先達を務め、その功により初代の熊野三山検校に任じられ役行者が創建したとされる常光寺を下賜された。これが「聖体護持」の意を持つ聖護院の創建である。その後、後白河天皇の子である静恵法親王が宮門跡として入寺して以降、十三門跡のひとつとして高い格式を誇った。
- 明暦の大火で焼失。
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