十万束
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十万束(じゅうまんぞく / じゅうまんつか)
由来
- 由来は諸説ある。
一束とは禾 稲(脱穀前の穎稲 )十把のことで、一把は両手の拇指と中指でつかめる量をいう。
一段を二百五十歩としていた時代は、五歩の田から採れる稲の量を一束とした。これを脱穀すると一斗(現在の4升)となり、舂 き米となるとその半分の5升として計算した。 - この太刀は、稲束10万ほどもするという非常に高価な意味で「十万束」と号がつけられたとされ、室町時代からこの名で呼ばれていたとする。
来歴
- 出羽庄内藩酒井家に伝来。
出羽庄内藩は酒井忠次の嫡流、左衛門尉酒井氏が明治維新まで治めた。酒井忠次は徳川四天王の一人、初代藩主の酒井忠勝は、その嫡流の左衛門尉酒井氏酒井家次の嫡男。譜代の名門の家柄である。
信房作
- 天正12年(1584年)、「小牧長久手の戦い」で戦功をあげた酒井忠次が徳川家康から拝領したものである。
酒井忠次は家康股肱の臣。徳川四天王・徳川十六神将ともに筆頭とされ、家康第一の功臣とされる。
- 昭和27年(1952年)3月29日に国宝指定。
- 酒井家ゆかりの致道博物館所蔵
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