稲葉天目

稲葉天目(いなばてんもく)  

曜変天目茶碗
高6.8cm 口径12.0cm 高台径3.8cm
国宝
静嘉堂文庫美術館所蔵

  • 本能寺の変で失われたものを除けば、古来最も優れるとされる。

    曜変、稲葉丹州公にあり、東山殿御物は信長公へ伝へ、焼亡せしより、比類品世に屈指数無之なり、茶碗四寸五分位、高臺ちひさし、土味黒く、薬たち黒く、粒々と銀虫喰塗の如くなるうちに、四五分位丸みにて鼈甲紋有之、めぐりはかな気にて見事なり、星の輝くが如し。(名物目利聞書)

    • ※「東山殿御物は信長公へ伝へ、焼亡せし」が、本能寺で焼失した曜変天目を指している。

由来  

  • 山城淀藩稲葉家に伝来したために名付けられた。
  • 春日局が病に臥せった時に家光が下賜した。その後、淀藩稲葉家に伝わり、「稲葉天目」と呼ばれる。

来歴  

  • 元は柳営御物(徳川将軍家所蔵)。
  • 寛永6年(1629年)3代将軍家光が疱瘡(天然痘)を患った時、春日局は薬断ち(生涯薬を飲まないという誓い)をたてて伊勢神宮に参拝し平癒を祈願する。
  • その14年後、寛永20年(1643年)、春日局は65歳の時に病に倒れるが、かつて家光のために祈願した薬断ちにより決して薬を飲もうとしなかった。春日局の命を救うため、家光はこの曜変天目と薬を贈ったうえで手ずから飲ませたという。
    家光は二条城内に建てさせていた茶室「三笠閣」も贈っており、のち稲葉正則の江戸屋敷に移築された。明治14年(1881年)牛込の二条基弘屋敷に移築され、のち原富太郎(号三渓)に贈られて大正11年(1922年)に横浜市の三溪園に移築され、現存する。「聴秋閣」重要文化財
  • その後は、稲葉正則(春日局の嫡孫。小田原藩2代)─稲葉正往(母は毛利秀元の娘万菊子。小田原藩3代、越後高田藩、下総佐倉藩)─正知(下総佐倉藩2代、山城淀藩初代。正室は小笠原忠雄の娘。)と嫡子に伝来する。
    春日局と稲葉正成の子である稲葉正勝は、38歳で寛永11年(1634年)に死んでいる。老中に任じられ小田原藩初代藩主となった。
  • 以後は淀藩主稲葉家に伝来し、明治後は稲葉正縄子爵所持。
  • 大正7年(1918年)3月18日に両国美術倶楽部にて同家の売立が行われ、拾六萬八千園で三井財閥の小野哲郎氏(小野氏の妻は稲葉正縄の娘煕子)に譲渡された。

    名物曜変天目茶碗 金拾六萬七千園

    記録により千円の違いがある

  • 昭和9年(1934年)に岩崎財閥4代目の岩崎小弥太が入手する。しかし小弥太は「天下の名器を私如きが使うべきでない」として生涯使うことはなかったという。
  • 昭和16年(1941年)7月3日重要文化財指定
  • 昭和26年(1951年)6月9日国宝指定、財団法人静嘉堂蔵

関連項目  

曜変天目