渡辺綱

渡辺綱(わたなべのつな)  

頼光四天王の一人
源宛の子
渡辺氏の祖

嵯峨源氏  

  • 本姓は嵯峨源氏で河原左大臣源融の子孫。
  • 正式な名のりは源綱(みなもとのつな)、渡辺源次とも。
    • 渡辺氏の嫡流や松浦氏の嫡流は「源次」の通称を名乗る。
  • 父:源宛(父・仕の任地である武蔵国の箕田村で生まれたことから、箕田源次)は、秩父平氏の平良文と一騎打したという。
  • 祖父:武蔵権介源仕
  • 曽祖父:河原大納言源昇(嵯峨天皇皇孫、光源氏のモデルともいわれる)

渡辺氏  

  • 通称は渡辺源次、官位は内舎人。
  • 摂津源氏の源満仲の娘婿である仁明源氏の源敦の養子となり、母方の里である摂津国西成郡渡辺に住し、渡辺綱を名乗る。

系譜  

嵯峨天皇-河原左大臣源融(12男)-河原大納言源昇-
-源仕(足立郡箕田郷に土着)-源宛(箕田源次)-源綱(渡辺綱)

頼光四天王  

渡辺党  

  • 子孫は渡辺党と呼ばれ、内裏警護に従事する滝口武者として、また摂津国の武士団として住吉の海を本拠地として瀬戸内海の水軍を統轄した。

松浦党  

  • 源頼光が正暦元年(990年)肥前守に任ぜられ、綱を同伴して松浦郡に下向し筒井村に住した。正暦五年(995年)に帰洛している。
  • この間に綱は奈古屋で授(源次授、渡辺授)という男子をもうけ、地名から奈古屋授と名づけた。これが松浦氏の祖が肥前国と関係をもつことになった初めである。
  • 延久元年(1069年)、授の子の久は松浦郡宇野御厨の荘官となり、松浦、彼杵郡及び壱岐の田およそ2230町を領有して梶谷に住み、松浦久と名乗り、次いで検非違使に補され、従五位に叙された。久は源太夫判官と称して松浦郡、彼杵郡の一部及び壱岐郡を治め、ここに肥前松浦党の歴史が始まる。