銘尽(龍造寺本)

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銘尽〔龍造寺本〕(めいづくし りゅうぞうじぼん)  

我が国最古の可能性が指摘されている刀剣本

概要  

  • 鎌倉時代に成立した「正和銘尽」の写本の一つと見られる。
  • 正和銘尽」の原本は残っておらず、これまで最古の写本は観智院に伝わった「観智院本銘尽」とされてきた。
  • 2017年12月26日に佐賀県立図書館は発表したリリースによれば、この「銘尽(龍造寺本)」が我が国現存最古の刀剣書となる可能性が指摘されている。

佐賀県のプレスリリース  

発見の経緯  

  • 佐賀県立図書館によれば、佐賀県立図書館所蔵の龍造寺家文書(佐賀県の重要文化財)277点のうち、2点の「申状土代」の裏に書かれたものであるという。
  • 龍造寺家文書は佐賀県重要文化財に指定されていたものの、これまで裏書については詳細な検討がなされておらず、刀剣書としては認知されていなかったが、九州産業大学基礎教育センター吉原弘道准教授の調査により、刀剣書であることが判明したとのこと。

成立時期  

  • 佐賀県のリリースで次のように述べている。

    南北朝時代の観応(かんのう)2年(西暦1351年)12月頃、足利直冬(ただふゆ)※に恩賞として旧領回復を訴えるため、直冬の陣中に滞在していた龍造寺家政(いえまさ)が、直冬かその関係者が持っていた秘本の刀剣書を借用し、家政本人か周辺の人物が書き写したものと推定されている。

足利直冬  

  • 足利直冬は尊氏の庶子とされ、尊氏の認知を受けられず尊氏弟である足利直義の養子となった人物。観応の擾乱を機に尊氏と徹底して対立・抗争を繰り広げて南北朝時代を激化させたが、尊氏の死後は勢力が衰え、消息不明となった。
  • 正平4年(1349年)より前に長門探題に任命されたと考えられ、のち肥後国河尻津から九州に上陸して足場を築いている。少弐氏らの協力を得て勢力を拡大し、正平6年(1351年)3月には九州探題に任命される。
  • のち斯波高経や山名氏、大内氏らに後援されて上洛を開始し、一時は京都を制圧する。やがて敗れ、正平18年(1363年)に大内氏、山名氏も幕府に降ったため直冬党は瓦解した。史料綜覧では、元中4年(1387年)7月2日条に「北朝宮内大輔従四位下足利直冬卒ス」と載せる。
  • 「龍造寺本銘尽」は、足利直冬が九州探題として力を得ていた時期に、龍造寺家政または周辺の人物により写されたものとなる。
    龍造寺家政は龍造寺氏8代。よく知られている龍造寺隆信は同20代。

刀剣本成立時期  

  1. 正和銘尽:正和年間(1312年~1317年) ※原本は現存せず、写本(観智院本)のみが残る
  2. 【龍造寺本銘尽:正平6年/観応2年(1351年)
  3. 観智院本銘尽:応永30年(1423年)

内容  

以下の内容は、佐賀県発表の釈文に基づきます。また刀工名の羅列のみの箇所は省いています。

定秀
豊後國刀作
真守
ヌケ丸(抜丸
安綱
つるきヲ作
実綱(清)
エチ前のつるぎ作
宗近
三条小かじ
友成
御作
  • 資料:2-2
宗仲
天暦の比(
安則
三寸のハズレ樋あり
則常
銘は目貫の孔の上に打つ
真守
ヌケ丸作(抜丸
國永
キク丸作(菊丸
宗近
六もゝ(六股*1 テウ丸(蝶丸
諷誦
ヒケキリ(髭切
定秀
三めユイ(三目ユイ) 五林丸(五輪丸
国綱
ヲニ丸(鬼丸
国吉
住吉つるき作
助包
ねこ丸(猫丸*2
國友
乙丸
友成
のと殿のさくら丸作(平教経の桜丸
助宗
とひきり作(飛切
信房
とうかり(遠雁丸
国行
かんな丸(鉋丸
國弘
アクケンタ殿のアヲミトリ作(悪源太源義平殿の青緑*3

*1 初出か
*2 古刀銘尽大全では出雲の天神作、或いは道明、或いは河内有氏作とする
*3 長享銘尽と同じ

  • 資料:2-4
国光
かまくらの八まんのつるき(鎌倉の八幡のつるぎ
藤源次
ちまのとうけんし(治間(沼間?)の藤源次) (エ)ミくりの(笑栗の
藤源次大夫
とうけんしのたゆう(藤源次の大夫) あふミとり(青緑
国宗
九らうはうくわんとのゝ小金作(九郎判官義経殿の黄金造?) しやうす(上手