小十文字

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小十文字  

太刀
長二尺六寸
号 小十文字

  • 島津家初代が源頼朝より拝領したという島津家伝来の「小十文字」。
Table of Contents
  • 島津家「御納戸御道具之事」

    太刀
    一腰 光世作、長弐尺六寸 号小十文字
    但頼朝公より忠久公御拝領

概要  

  • 「島津家譜」および「寛政重修諸家譜」などに登場する刀。
  • いずれも、「膝丸」が「小十文字」になったとする。
  • 以後島津家で相伝する。南北朝の頃6代目の島津師久の世子伊久は、長子である守久が凶暴で島津家を継ぐ器でないことを見抜き、従兄弟に当たる島津元久に「膝丸」を譲ったという。以後、島津本家の重宝とした。

由来  

  • 銀で十字を脛巾金にちりばめられていたために、「小十文字」と名付けたとする。

来歴  

  • 鎌倉時代の島津忠久が頼朝より拝領したとする。
    島津家初代島津忠久の出自については諸説ある。島津家の文書では忠久の生母は源頼朝の側室丹後内侍(比企尼の長女)であり、頼朝の落胤であるとする。一般的には、惟宗広言の実子、あるいは惟宗忠康の子とする。惟宗氏は本姓秦氏で、元慶7年(883年)に惟宗姓を賜り、のち日向に下って土着し、島津荘にちなんで島津を称したという。
  • ただし家伝に一部相違があり、細部で伝承が異なる。

島津家譜  

  • 島津家譜によれば、島津氏の祖である島津忠久は文治2年(1186年)に薩摩大隅日向の三国地頭に任じられ、そのときに「膝丸」と「鳩丸」を拝領。
  • その後、同家では「膝丸」を「小十文字」、「鳩丸」を「大十文字」と改め、重代の家宝として十文字の太刀と忠久の甲冑を相伝したという。

    文治二年忠久八歳之とき薩隅日惣地頭幷守護被仰付候、同年秋薩州致入部候島津は薩隅日を島津之御庄と申候て三州之惣名と頼朝公の御下文にも被遊候旗幕之紋十文字を被下候、是ハ源氏紋二引両を井違爲被遊と申傳候、且亦源氏重代之膝丸之御太刀、頼朝公御太刀鳩丸之御脇指致拝領、即膝丸を小十文字、頼朝公御太刀を大十文字と改、重代に仕候。當家家督相續仕候時者、此十文字之太刀、忠久之甲冑専一之重物仕来候
    (史籍集覧島津家譜)

寛政重修諸家譜  

  • いっぽう「寛政重修諸家譜」では、それぞれ別物とする。
  • 文治元年(1185年)6月15日

    鎌倉にいたり、鶴岡にをいて頼朝に謁す。時に七歳やがて畠山次郎重忠に命じ、首服をくはへしめ、忠久となのり、左兵衛少尉に任じ、鳩作の短刀群鳩の形を飾るにより鳩作といふ。を與へらる

  • 文治3年(1187年)9月9日

    九月九日薩摩、大隅、日向三国の守護職となり、島津をもつて家號とし、また十文字の家紋、大十文字の太刀銀をもつて十字を脛巾金に銳?めし太刀なるにより、この名あり。をよび寶器数品をあたへらる

  • その後

    のち忠久、弟兵衛尉忠季をして、其守護代となさしむ。また膝丸の太刀?家重代の寶刀なり。銀をもつて十字を脛巾金にちりばむ。よりて小十文字の太刀とあらためなづく。をあたへらる。

まとめ  

  • まとめると次のようになる。両家譜においては、「膝丸」が「小十文字」と変化するのは同じ。「御納戸御道具之事」ではすべて別物として記載される。
  • 「島津家譜」
  1. 鳩丸→大十文字
  2. 膝丸→小十文字
  • 「寛政重修諸家譜」
  1. 鳩作
  2. 大十文字
  3. 膝丸→小十文字
  • 島津家「御納戸御道具之事」
  1. 小十文字

    太刀
    一腰 光世作、長弐尺六寸 号小十文字
    但頼朝公より忠久公御拝領

  2. 大十文字

    太刀
    一腰 無銘 長三尺三寸弐部 号大十文字
    但書同断

  3. 鳩作

    御脇差
    一腰 無銘、長七寸八分
    但頼朝公より忠久公御拝領、号鳩作

関連項目