鳥飼宗慶


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 鳥飼宗慶(とりかい そうけい)

織豊期の書家、摂津鳥飼の土豪
六左衛門
入道宗慶
号、鄰松斎

  • 鳥養宗慶とも
  • 室町末期の摂津の土豪で、尊円流の書家。
  • 鳥飼流書道の初祖。

    鳥飼宗慶
    鳥飼宗慶は攝津鳥飼の人なり。書法御家流より出て一家をなす。世に鳥飼流と稱す。

 生涯

  • 摂津鳥飼村の生まれ。
    現在は大阪府摂津市鳥飼各町。JR東海の鳥飼車両基地がある。古代には近都牧のひとつである鳥養牧(鳥飼牧)が存在し、平安時代には別業(鳥飼院)が置かれ宇多天皇が遊行し大江玉淵の養女である遊女白女に鳥飼にちなむ歌を詠ませた逸話が残る。室町時代には鳥飼猿楽(摂津猿楽)で知られた。
     「榎並猿楽の他に、攝津猿楽として室町時代前期に活躍したものに鳥飼猿楽がある。鳥飼の地は、吹田の東北方約二里、淀川の沿岸の地であつて、川をへだてて河内國九箇荘に對して居る。鳥飼猿楽が何時の時代から此の土地に居住して居たものであるかは不明であるが、記録に見える始は、醍醐隆源僧正日記」應永二年四月の清瀧宮神事猿楽に關する記事の中に(中略)とあるのが初見である」

    元々「鳥養」は、垂仁天皇の第一王子・本牟智和気王(ほむちわけのおおきみ)の故事に由来する。成人するまで言葉を発しなかった皇子が、空高く飛ぶ鵠(くぐい/こく、白鳥の古名)を見たときに言葉を発したという。よって垂仁天皇は、鵠を献上した天湯河板挙(あめのゆかわたな)に「鳥取造」の氏姓を賜り、あわせて、鳥取部(ととりべ/とっとりべ)・鳥養部(とりかいべ)・誉津部(ほむつべ)が定められたとする(由是、以敦賞湯河板舉、則賜姓而曰鳥取造、因亦定鳥取部・鳥養部・譽津部。)。この鳥養部が鳥を飼育する鳥養牧が、摂津に置かれたとされる。古くは"鳥養"と記述したが、南北朝ごろより徐々に"鳥飼"の記述が多くなっている。
  • 生歿年未詳。
    三好長慶に右筆として仕えた人物に、鳥養(鳥飼)兵部丞貞長がいる。この鳥飼村の出身であり、天文21年(1552年)に山科言継が三好長慶あてに送った文書に登場する。宗慶も同じ一族とされる。
  • 通称次郎右衛門。号は松庵、鄰松斎。宗慶は入道名。
  • 飯尾彦六衛門常房より飯尾流を学ぶ。
    飯尾常房は、書家であり足利義政の右筆を務めた。阿波飯尾氏の出で、飯尾氏は室町幕府の評定衆・奉行に列し、在国では細川氏の悲観として徴用されたが、常房は京都で生まれ京都で没した。和歌を尭孝法師(頓阿の曾孫)に学び、青蓮院流の書を修めて飯尾流を創始した。応永29年(1422年)生まれ、文明9年(1477年)、あるいは文明17年(1485年)没とされる。(徳島県史)

 治績

  • 永禄年間(1558~70)の初めごろ、三好長慶の命で淀川の治水にあたり、宗慶島(そうけいじま)に名を残す。

    其の本地に屬せる淀川の中流に、宗慶島といへるあり、島名は宗慶に因めるなり。

  • 島は大正6年(1917年)に台風で決壊し甚大な被害を出した(「大塚切れ」)。大正10年に淀川堤防のかさ上げが行われた際に、土砂が採取され宗慶島は消滅している。現住所は摂津市鳥飼上1-19で公園になっており、地蔵堂と龍王大神が残る。

 刀剣

 系譜

  • 鳥飼宗慶の孫に当たるとされるのが、車屋道晣(くるまや どうせつ)である。道晣は「車屋藤四郎」に名を残す。




 車屋道晣(くるまや どうせつ)

  • 鳥養道晣。
  • 江庵、吟松斎。入道名は宗精、のち宗晣。※「晣(せつ)」は、日へんに折
  • 鳥養宗晣は、屋号を「車屋」とし、道晣。後に車屋宗晣と名乗ったという。
  • 能楽師、金春喜勝の右筆を務めるうちに謡本の節付けに熟達する。

 概要

  • 慶長7年(1602年)死去。
  • その生涯については、断片的なことしかわかっていない。

 「車屋本」

  • 謡曲「車屋本」の編集者で知られる。

    車屋道悅
    今春大太夫ノ弟子也、当津ニ来ツテ車町中濱ニ住シテ家流ノ中ヨリ一流撰出シテ聲ヲ吟ジ自筆ニシテ板ニ彫行車屋本ト世ニ用ハ是也、元ハ七十五番ナルヲ再加増シテ百番トナス

    其比は番数の定めもなかりしか、金春大夫の弟子泉州堺の住車屋道悅といふもの一流節奏して百番としるし自筆して印行す、所謂車屋本是也

 鳥飼宗慶の孫

  • この「車屋本」を書写または出版したのが鳥養宗晣であり、宗晣の父は宗嘴、その父が「鳥飼来国次」などに名を残す鳥飼宗慶である。
    鳥飼宗慶──宗嘴──道晣(道悅、宗晣)
  • 宗慶の出身地である摂津鳥養には、愛幸太夫を座長とする「鳥養猿楽」があり、のち大和猿楽に吸収されていったとされる。すなわち、観世、宝生、金剛、金春の四座である。

 秀次の近侍

  • 文禄3年(1594年)には関白秀次に仕え「謡抄」の編集に関わる。

 関連項目


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