鳥飼宗慶
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鳥飼宗慶(とりかい そうけい)
織豊期の書家、摂津鳥飼の土豪
六左衛門
入道宗慶
号、鄰松斎
- 鳥養とも
- 室町末期の摂津の土豪で、尊円流の書家。
- 鳥飼流書道の初祖。
生涯
- 摂津鳥飼村の生まれ。
- 通称次郎右衛門。号は松庵、鄰松斎。宗慶は入道名。
- 飯尾彦六衛門常房より飯尾流を学ぶ。
飯尾常房は、書家であり足利義政の右筆を務めた。和歌を尭孝に学び、青蓮院流の書を修めて飯尾流を創始した。応永29年(1422年)生まれ、文明9年(1477年)、あるいは文明17年(1485年)没とされる。
- 生歿年未詳。
三好長慶に右筆として仕えた人物に、鳥養(鳥飼)兵部丞貞長がいる。この鳥飼村の出身であり、天文21年(1552年)に山科言継が三好長慶あてに送った文書に登場する。宗慶も同じ一族とされる。
治績
- 永禄年間(1558~70)の初めごろ、三好長慶の命で淀川の治水にあたり、宗慶島(そうけいじま)に名を残す。
- 島は大正6年(1917年)に台風で決壊し甚大な被害を出した(「大塚切れ」)。大正10年に淀川堤防のかさ上げが行われた際に、土砂が採取され宗慶島は消滅している。現住所は摂津市鳥飼上1-19で公園になっており、地蔵堂と龍王大神が残る。
刀剣
- 「鳥養国俊」のほかに、短刀「鳥飼来国次」、「鳥養国次」に名を残す。
- また徳川秀忠所持の「庖丁藤四郎」 も鳥飼宗慶が買い上げたものを秀吉が召し上げ、上杉景勝、秀忠、紀伊頼宣を経て将軍家に戻るが、明暦の大火で焼失している。
系譜
- 鳥飼宗慶の孫に当たるとされるのが、車屋道晣(くるまや どうせつ)である。道晣は「車屋藤四郎」に名を残す。
車屋道晣(くるまや どうせつ)
- 江庵、吟松斎。入道名は宗精、のち宗晣。※「晣(せつ)」は、日へんに折
- 鳥養宗晣は、屋号を「車屋」とし、道晣。後に車屋宗晣と名乗ったという。
- 能楽師、金春喜勝の右筆を務めるうちに謡本の節付けに熟達する。
概要
- 慶長7年(1602年)死去。
- その生涯については、断片的なことしかわかっていない。
「車屋本」
- 謡曲「車屋本」の編集者で知られる。
車屋道悅
今春大太夫ノ弟子也、当津ニ来ツテ車町中濱ニ住シテ家流ノ中ヨリ一流撰出シテ聲ヲ吟ジ自筆ニシテ板ニ彫行車屋本ト世ニ用ハ是也、元ハ七十五番ナルヲ再加増シテ百番トナス其比は番数の定めもなかりしか、金春大夫の弟子泉州堺の住車屋道悅といふもの一流節奏して百番としるし自筆して印行す、所謂車屋本是也
鳥飼宗慶の孫
- この「車屋本」を書写または出版したのが鳥養宗晣であり、宗晣の父は宗嘴、その父が「鳥飼来国次」などに名を残す鳥飼宗慶である。
鳥飼宗慶──宗嘴──道晣(道悅、宗晣)
- 宗慶の出身地である摂津鳥養には、愛幸太夫を座長とする「鳥養猿楽」があり、のち大和猿楽に吸収されていったとされる。すなわち、観世、宝生、金剛、金春の四座である。
秀次の近侍
- 文禄3年(1594年)には関白秀次に仕え「謡抄」の編集に関わる。
関連項目
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