鉄砲兼光


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 鉄砲兼光(てっぽうかねみつ)


金象嵌銘 久留米侍従秀包所持
鉄砲兼光
2尺3寸4分
個人所蔵

 由来

  • 天正の中ごろ長泉寺の戦いにおいて、越前朝倉氏の家臣山崎長徳(山崎閑斎)が、鉄砲を擬している敵を鉄砲もろともに切ったことからこの名がついた。

 来歴

  • 山崎長徳は朝倉氏が滅ぶと明智光秀に仕え、天王山の戦いの後は柴田勝家の家臣佐久間安政に仕え旗奉行に、柴田氏が賤ケ岳の戦いで滅ぶと越前に進出してきた前田家に仕えた。
  • 関ヶ原の戦いでは、加賀大聖寺城攻めで功があり1万4000石の所領を与えられた。
  • 慶長16年(1611年)に隠居して「閑斎」と号す。さらに慶長19年(1614年)からの大坂の陣にも冬・夏の両陣に参戦している。
  • 「鉄砲兼光」は前田利長の手を経て豊臣秀吉に献上され、久留米侍従毛利秀包が拝領したものという。
  • この逸話は、兼光ではなく来国行であるともいう。「切銃
  • また毛利秀包が所持したもので、向井将監(向井忠勝)が象眼銘を入れ、のち松浦鎮信家に伝来したものであるという。この場合山崎長徳は関係がない。

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