秋之嵐


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 秋之嵐(あきのあらし)


銀象嵌銘 秋之嵐/織田七兵衛所持
前田土佐守家資料館所蔵(金沢市)

  • 無銘だが関兼元(二代孫六兼元)作とされる。

 由来

  • あたかも秋風に枯葉が翻っているような趣がある刃文にちなんで名付けられたという。

 来歴

 津田信澄

  • 裏銘の所持銘「織田七兵衛」は織田信澄(津田七兵衛信澄)のこと。
    信長の実弟である織田勘十郞信行の嫡男で、信行が殺害された時に幼少の信澄は祖母の土田御前(信長と信行の生母)の助命嘆願もあり、柴田勝家のもとで養育された。津田姓を名乗り、通称は七兵衛。長じて信長の側近となり、織田一門衆の中でも信任され重用された。正室が明智光秀の娘という関係から加担しているとの疑いを持たれ、本能寺の変の3日後に神戸信孝と丹羽長秀により襲撃を受け、丹羽家家臣・上田重安によって討ち取られた。享年28。

 前田利政

  • その後、前田利政の所持となった。
  • 利政利政は前田利家の次男で、母はまつ。従四位下侍従・能登守に叙任され、羽柴能登侍従と呼ばれた。
  • 関ヶ原では大聖寺城攻めに参陣するが、その後突如金沢へ引き返す。のち兄の前田利長は再度出陣するが、この時前田利政は動かなかった。関ヶ原の戦い後に能登の所領は没収され兄の利長に与えられると、利政は京都の嵯峨に隠棲し、宗悦と号した。
  • 寛永10年(1633年)に長女の婚家先である角倉与一玄紀(角倉了以の孫)の邸で死去。
  • 利政の嫡子前田直之は、のちに加賀藩主となった前田利常(利政の弟で、直之の叔父にあたる、母は千代保)に仕え、前田土佐守家を立てている。
                        前田利家─┬前田利長
                             ├前田利常──前田光高【加賀藩主家】
                  [土倉業]      └前田利政─┬前田直之【加賀八家 前田土佐守家】
    吉田徳春─宗臨─宗忠─┬吉田光治─栄可┬求和         └娘
               │       └娘           │
               │  [医者]  ├───角倉素庵─┬角倉玄紀【与一家 嵯峨角倉】            
               ├吉田宗桂─┬角倉了以(与七)   └角倉厳昭【平次家 京角倉】
               │     │              
               │     └宗恂(意安)
               └吉田光茂──宗運──周庵─┬吉田光長
                             └吉田光由 ※和算家
    
    前田土佐守家は加賀藩重臣の家系。加賀八家の筆頭だが、家禄は1万1千石と最も少なかった。

 前田土佐守家代々

  • 本刀「秋之嵐」は直之に伝わり、その後も加賀八家の前田土佐守家に伝来した。
  • 現存。



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