池田貞宗
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池田貞宗(いけださだむね)
- かつて幽斎所持により「幽斎貞宗」とも。
- 享保名物帳所載
池田貞宗 長一尺二分 代金三百枚 松平加賀守殿
表裏護摩箸、京都町人蓮池常知と申者所持、先に取次にて細川兵部大輔幽斎老金貳枚にて求め、中務殿へ傳ふ、池田三左衛門輝政殿黄金百枚に求め、秀忠公へ上る、寛永六年四月廿六日利常卿へ渡御の刻拝領
- 詳註刀剣名物帳
本文中務とあるは幽斎の子、忠興の二男にて別家して肥後宇土三萬石を領す、中務大輔立孝と云。
「詳註刀剣名物帳」では、"中務"を中務大輔立孝だとしているが、幽斎は慶長15年(1610年)に死去しており、元和元年(1615年)生まれの細川立孝に譲ることは出来ない。
- 平造、三つ棟、身幅広く、重ね薄く僅かに反る。帽子乱れ込み先小丸。彫物表裏護摩箸をかき流す。なかご生ぶ、先剣形。目釘孔2個。
由来
- 池田三左衛門輝政が所持したことにちなむ。
来歴
細川幽斎
- 元は京都の商人蓮池常知が所持していたものを本阿弥光二の取次で細川幽斎が買い求め、子の細川中務少輔孝之(休斎宗也、忠興弟)に伝えた。
細川孝之は幽斎の正室・沼田麝香の末の男子。忠興の末弟にあたる。天正13年(1585年)生まれ、正保4年(1647年)死去とみられる。幼名茶知丸、通称与十郎。初め孝紀。関ヶ原後に忠興が豊前33万石を拝領すると、豊後香春城(鬼ヶ城)2万5千石を拝領する。のち細川家が肥後に移ると八代城に居候し忠興の扶持を得たという。
池田輝政
将軍家
- 慶長18年(1613年)輝政の死後、遺物として秀忠に献上されている。
一、幽斎貞宗御腰物 将軍様
御腰物=刀になってしまっているが、池田家履歴略記では脇指とする。
前田利常
- 寛永6年(1629年)4月に大御所秀忠が前田利常の邸に御成の際に下賜、加賀前田家に伝来した。
- 昭和16年(1941年)4月9日に重要美術品指定。前田利為侯爵所持。
本阿弥光博
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