桑名江
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桑名江(くわなごう)
刀
金象嵌銘 義弘本阿(花押)/本多美濃守所持
名物桑名江
2尺2寸9分(69.4cm)
重要文化財
京都国立博物館所蔵
- 大磨上無銘
由来
- 本多忠政(伊勢桑名藩2代藩主)所持にちなむ。
金象嵌の「本多美濃守所持」は忠政が所持銘として入れさせたもの。
来歴
- 伊勢桑名15万石を領していた本多忠政が、鷹狩りの際にある農家で神棚に祀っていたこの刀と出会ったという。
父平八郎忠勝の隠居により、忠政が家督を継いだのが慶長14年(1609年)、姫路藩に転封されたのが元和3年(1617年)なのでその間ということになる。
- 以後、三河岡崎藩本多家に伝来。
- 昭和9年(1934年)7月31日に重要美術品指定。本多忠昭子爵所持。
- 昭和15年(1940年)遊就館名刀展覧会出品時も本多忠昭子爵所持。
- 昭和36年(1961年)の「正宗とその一門」では宮崎富次郎氏所持。
- 現在は京都国立博物館所蔵。
本多忠政
本多忠勝長男
伊勢桑名藩第2代藩主。後に播磨姫路藩初代藩主。
正室は家康の孫の熊姫。
- 小田原征伐で初陣し、武蔵岩槻城攻めで功を立てている。
- 慶長3年(1598年)3月、従五位下に叙せられて美濃守と称す。
- 関ヶ原の戦いでは徳川秀忠軍に属して中山道を進み、第2次上田合戦にも従軍。慶長14年(1609年)6月に父が隠居したため、家督を相続して桑名藩の第2代藩主となる。
- 大坂冬の陣では慶長19年(1614年)10月11日に徳川軍の先鋒を命じられ、大坂城包囲においては北側の天神橋方面に陣取っている。
- 大坂夏の陣では京都御所の警備を勤め、その後に家康の軍勢と南下して5月7日に豊臣方の薄田兼相や毛利勝永らと交戦する。薄田軍との合戦には勝利したが、毛利軍との戦いには敗れている。この合戦で忠政は292の敵首をとった。
- 戦後それらの功績を賞され、西国の押さえとして元和3年(1617年)7月14日に姫路城主となり15万石を領す(初代姫路藩主)。寛永3年(1626年)8月に従四位下に叙せられ侍従に任命された。
- 嫡男の忠刻が寛永3年(1626年)に早世していたため、家督は次男の政朝が継いでいる。
- この後、本多平八郎家は分家・転封を繰り返しながら忠勝系本多家宗家11代の本多忠粛のときに三河岡崎藩主となり、岡崎藩6代藩主本多忠直の時に明治を迎えた。
- 養嗣子の本多忠敬が家督をついで子爵となり、その死後長男の本多忠昭が子爵を継いだ。本多忠昭子爵は明治26年(1893年)生まれ、大正9年(1920年)に襲爵、昭和20年(1945年)に死去。家督は養嗣子の本多光孝が継ぐが、昭和21年(1946年)に戦死。もう一人の養嗣子である本多玄忠が跡を継いだ。