五虎退吉光
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五虎退吉光(ごこたいよしみつ)
- 粟田口藤四郎吉光作
- 「五虎退の御剣」「大唐五虎
迯 」とも - 「上杉家御手選三十五腰」のひとつ
- 無反り。
- 表裏に護摩箸。古剣書には目釘孔が2つあるが、昭和の頃には尻側が埋められ1つになっている。
- 差表目釘孔下中央に二字銘。
「五鈷吉光」とあるのは五虎退吉光の誤り。
由来
- 足利義満の遣明使として明に渡った役人(同朋)が荒野で5匹の虎に襲われたが、この短刀で追い払った(退けた)ために付けられたという。
- 帰国後に義満に報告すると「五虎退」という異名を付けた。
来歴
- 同朋から足利義満に伝わり、朝廷に献上された。
- 長尾景虎(後の上杉謙信)が足利義輝の要請を受け永禄2年(1559年)5月に上洛した際に、正親町帝より拝領した。
一日、景虎、参内ス、謁ヲ賜ヒテ、天盃竝ニ御劍ヲ下賜シ給フ
永禄二年五月朔日、景虎参内、龍顔ヲ拝シ、天盃ヲ賜フ、侑スルニ寶劒ヲ以テス、五虎退粟田口吉光作ト云
上杉謙信が、山内上杉家の家督と関東管領職を相続し名を上杉政虎と改めたのは永禄4年(1561年)閏3月、法号「不識庵謙信」としたのは元亀元年(1570年)。
- 現存、個人蔵。
※時折、米沢市上杉博物館で展示公開される。非常設展示。
「十虎退」
- 明治14年(1881年)10月2日、明治天皇が山形に行幸した際に上杉家の重宝が上覧され、この「五虎退吉光」も天覧に供した。
夕刻、行在に還御。斉憲名刀二口を獻ず。また上杉家の寶器、古書畫、其他郡内物産を陳ねて御覧に供へり。
行在所に 列の品目、左の如し。
(略)
上杉謙信着料品
一、五虎退吉光の御脇差 一口
是は同人、再参内の節、
正親町帝より拝領
(略)
以上、上杉茂憲所藏出陳
- この時明治天皇は、孝明天皇遺愛の吉光を携行されており、随行していた本阿弥某を側に召し、どちらの出来がいいかお尋ねになったという。本阿弥が「先帝御遺愛の吉光が五虎退よりも優れております」と奉答すると、「五虎退より優れているなら十虎退じゃのう」と御満悦であったという。
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