松平頼平
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松平頼平(まつだいらよりひら)
子爵
守山松平家第10代当主
初名、頼鏸
- 明治・大正期の著名な鑑刀家の一人。
生涯
- 安政5年(1858年)8月15日、常陸宍戸藩主の松平頼位(8代藩主、10代藩主)の三男として生まれる。
常陸宍戸藩は、慶長7年(1602年)に秋田実季が出羽秋田より5万石で入ったことにより立藩した。実季はのち伊勢国朝熊に流され、家督は子の俊季が継ぐが、正保2年(1645年)に陸奥三春藩へ転封となり、宍戸は幕府領、ついで水戸藩領となった。天和2年(1682年)2月、水戸光圀は弟の松平頼雄に1万石を分与して新たに立藩し、親藩水戸藩御連枝としての宍戸藩ができた。
なお頼平の姉妹に高がおり、永井岩之丞(旗本永井尚志の養子)に嫁いだ。長女の夏子が作家三島由紀夫(本名・平岡公威)の祖母にあたる。
- 明治17年(1884年)6月、華族を対象とした陸軍予備士官学校に入学する。
- 明治18年(1885年)9月、水戸藩御連枝である旧陸奥守山藩主家・松平喜徳の養子となった。
陸奥守山藩は水戸藩初代徳川頼房の孫、松平頼貞に始まる。頼貞は尚武の気性に富み、金工安親を庇護している。
- 明治24年(1891年)、先代喜徳が没すると、家督を継ぎ襲爵した。
- のち宮内省御用掛を務めた。
- 明治33年(1900年)刀剣会の設立にあたり、対馬宗伯爵、平戸松浦伯爵、熊本長岡子爵などとともに発起人の一人となっている。
- 明治44年(1911年)古社寺保存法の委員に任命される。
古社寺保存法は明治30年(1897年)制定で当初は内務省が所轄官庁であったが、大正2年(1913年)には文部省へ移管される。昭和4年に国宝保存法が施行され、古社寺保存法は廃止された。
- 大正7年以降宮内省御用掛として御物刀剣管理を担当する。
- 昭和4年(1929年)、72歳で没。没後は長男の秋雄が家督を継いだ。
官吏薨去 宮内省御用掛 従二位 子爵松平頼平ハ本月十六日薨去セリ
刀剣
- 新刀を中心に、同作を10口~20口も蒐集した上で徹底的に研究を行った。この資金捻出にあたっては、常陸宍戸藩松平家に伝来した蔵刀を手放すという非常な覚悟が伺える。
- 手放した蔵刀では次の名が見える。
- 遠近二字銘刀
- 本阿弥光忠折紙つき。浅田正文が入手
- 志津在銘
- 平岡浩太郎が入手
- 来国行刀
- 赤胴葵紋金物糸巻太刀。清田直
- 赤胴透彫太刀
- 益田鈍翁
- 安親作の鐔
- 松平頼貞が安親に作らせたもの。活人剣、殺人刀の大小の鐔。帝室博物館
- 散梅の鐔
- 2枚。古河家および浅田家
国宝指定
- 時代考証や刀剣鑑定に対して深い知識を持っており、古社寺保存法の委員として、主に古社寺に保存される刀剣の指定を行っている。
- 上杉神社
- 長巻 無銘 伝片山一文字 附 拵。大正6年(1917年)4月5日重要文化財指定。長96.6cm、反り4.2cm。
- 鳥海山大物忌神社
- 太刀 伝三池典太作。3尺1寸。大正4年(1915年)4月13日重要文化財指定。
- 鹿島神宮
- 「韴霊剣」(ふつのみたまのつるぎ、直刀・黒漆平文大刀拵)
- 日光東照宮
- 脇指 銘「備前国住長船勝光宗光備中於草壁作文明十九年二月吉日」長53.6cm、反り1.6cm。目釘孔1個。家康遺愛刀。
- 乃木神社
- 銘「備前国住長船次郎左衛門尉勝光子次郎兵衛尉治光/一期一腰作之佐々木伊予守」東京国立博物館寄託
- 久能山東照宮
- 太刀 銘「真恒」(久能山の真恒)1951年6月9日に国宝指定。
- 名古屋東照宮
- 古備前派、遠近の太刀
- 猿投神社
- 太刀 銘「行安」 附:兵庫鎖太刀拵
- 北野天満宮
- 刀 銘「北野天満天神豊臣秀頼公御造営之時 于時慶長十二丁未十一月日信濃守国広造」1914年4月17日重要文化財指定。豊臣秀頼寄進。
- 建勲神社
- 「義元左文字」
- 四天王寺
- 「丙子椒林剣」、「七星剣」
- 安福寺(大阪)
- 太刀 銘 信房作
- 本興寺
- 「数珠丸恒次」
- 高野山蓮華定院
- 国広作の剣、興山上人寄進
- 紀州東照宮
- 太刀 銘真長 附:絲巻太刀拵
- 厳島神社
- 一文字の太刀、刀 銘「談議所西蓮」附打刀拵
関連項目
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