上古秘談抄
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上古秘談抄(じょうこひだんしょう)
名越遠江入道崇喜
上中下の三巻。
- 原本および正確な写本が現存しないが、「元亀本刀剣目利書」に写しが載る。
奥書
- 奥書は正和3年(1314年)2月8日。
正和三甲寅年二月初八日書之
名越遠江入道崇喜 在判
応安二年八月日、故遠江禅門以自筆本書写之猶当道可為明鏡者也
宇都宮参河入道 在判
- 元は正和3年(1314年)に名越崇喜が記したもので、それを応安2年(1369年)に宇都宮三河入道が写したことになる。
- なお「注進物」がまとめられたのが正和2年(1313年)正月11日であり、その翌年に記されたということになる。
名越遠江入道崇喜
この「名越遠江入道崇喜」なる人物が誰かについては議論があり、古くは小川琢治氏が系図纂要の北条氏系図を引いて名越篤時あるいはその子の公篤としており、最近では得能一男氏が名越篤時(法名元心)としている。刀剣界ではこれで通っているため、ここでは「名越遠江入道崇喜」を名越篤時として話をすすめる。
※なお同系図では"篤時"と甥にあたる"時家"が元弘3年(1333年)の千早城攻めの際に諍いを起こし死亡したとしている。これは上記奥書に見える正和3年の19年後になる。
※なお同系図では"篤時"と甥にあたる"時家"が元弘3年(1333年)の千早城攻めの際に諍いを起こし死亡したとしている。これは上記奥書に見える正和3年の19年後になる。
- 名越氏は名越流北条氏ともいい、鎌倉幕府2代執権北条義時の次男北条朝時を祖とする。
- 名越の地にあった祖父北条時政の邸を継承した事により名越を称し、母方の比企氏の地盤を継いで代々北陸や九州の国々の守護を務めた。
【名越】 北条義時──北条朝時─┬名越光時 │ ※鬼丸所持 ├名越時章─┬公時─┬時家──高家 │ ├頼章 └公貞──時有──時兼 ├教時 └篤時 └時基 (遠江入道崇喜)
名越高家は、山崎の合戦で「鬼丸国綱」を佩用したと伝わる。
特徴
- 日本刀成立以前を「上古七人鍛冶」として二群に分けて載せる。
- 粟田口系図
国頼──国家──国友─┬則国 ├友末 └王
御物目録
- 「元亀本刀剣目利書」末には、御物目録が載る。計21口
関連項目
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