一期一腰


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  • 同名刀が複数ある
  1. 富士山本宮浅間大社所蔵:式部丞信国作。号 浅間丸。重要文化財
  2. 源清麿源清麿作「一期一腰の大・小」。個人蔵
  3. 乃木神社所蔵:勝光・治光合作刀。重要文化財東京国立博物館寄託
Table of Contents

一期一腰(いちごひとこし)  

脇差
銘 奉富士本宮源式部丞信国/一期一腰応永卅二二年二月日
号 浅間丸
一尺四寸五分
重要文化財
富士山本宮浅間大社所蔵

  • 平造り、三棟、身幅広く寸延び。
  • 表裏棒樋の中に、表は蓮台の上に「富士浅間大菩薩」、裏は「伊勢天照皇大神」と浮き彫り。
  • 武田信玄の家臣、穴山信友の寄進状および漆塗の箱が付く。

    穴山信友寄進状
    駿河国富士大宮之御神宝刀一腰、号浅間丸、信国作一期一腰云々、去騒乱之砌失脚畢、然有不思議之便幸所尋出之也、苟機縁純熟者也、仍本州((駿河国))之太守義元(今川)源公之判形相添之、謹奉献納 御神殿、所仰依此丹誠、国家安全・武運長久・子孫蕃衍、両願円成之者、決定奉期 神感、伏希及遞代垂冥助給、恐惶敬白、
     于時天文十六歳舎丁未二月初二日
        武田伊豆守源信友(花押)
    富士大宮御宝前

    穴山信友箱書銘
    (箱蓋表)奉納富士大宮浅間大菩薩之社内刀一腰浅間丸 武田穴山伊豆守源信友(花押)
    (箱底表)于時天文十五歳舎丙午春三月十六日 甲州河内保食邑主、攸仰子孫繁衍如件、

由来  

  • 銘文「一期一腰応永卅二二年二月日」に由来する。
    応永34年(1427年)2月の作。文化財登録では応永廿二二年と読み、応永24年(1417年)作としている。
  • 「一期一腰」とは、一代の名作を造り上げたことを誇ったとする。

来歴  




源清麿作「一期一腰の大・小」  


号 一期一腰の大
銘 源清麿/嘉永元年八月日
刃長2尺2寸6分(68.4cm)、反り1.0cm
個人蔵

脇指
号 一期一腰の小
銘 源清麿/嘉永元年八月日
刃長1尺5寸9分(48.2cm)、反り0.9cm
個人蔵

  • 幕末の刀工源清麿が嘉永元年(1848年)に打った刀。
  • 打刀と脇差のセットで「一期一腰の大・小」と呼ばれる。
  • 迫力のある大切先と華やかな刃紋が特徴的であり、嘉永7年に突如自殺する源清麿の最高傑作とされる。
    • 刀は目釘孔1個、目釘孔下に「源清麿
  • 主な出展歴
  1. 2014年2月:根津美術館「生誕200年記念 特別展清麿 - 幕末の志士を魅了した名工 - 」
    これまでの展覧会|根津美術館
  2. 2019年7月:岐阜県博物館「剣精霊貫白虹 ―幕末美濃の剣豪と名刀―」
    特別展「剣精霊貫白虹 ―幕末美濃の剣豪と名刀―」 | 岐阜県博物館ウェブサイト


乃木神社所蔵「一期一腰」  


銘 備前国住長船次郎左衛門尉勝光子次郎兵衛尉治光/一期一腰作之佐々木伊予守
刃長64.7cm、元幅3.2cm、先幅2.4cm
重要文化財
乃木神社所蔵、東京国立博物館寄託

  • 次郎左衛門尉勝光とその子である次郎兵衛尉治光の合作刀。
  • 鎬造り、庵棟、鍛板目、刃文湾れ足入り。
  • 帽子一枚帽子、中茎生ぶ、先栗尻、鑢目筋違、目釘孔2個。
  • 銘は、差表に「備前国住長船次郎左衛門尉勝光子次郎兵衛尉治光」、裏に「一期一腰作之佐々木伊予守」と入る。
  • 「佐々木伊予守」は所持銘で、尼子経久のこと。
    【京極氏】
    佐々木道誉─┬秀綱
          └高秀─┬高詮──高光─┬持高
              │       └持清─┬勝秀─┬高清
              │           ├政光 └孫童子丸
              │           └政経
              │【尼子氏】
              ├高久─┬詮久【近江尼子氏】
              │   │
              │   │【出雲尼子氏】
              │   └持久─┬清定──経久
              │       └山中幸久【山中氏】
              └秀益【宍道氏】
    
    京極氏は本姓佐々木氏で宇多源氏の流れ。佐々木信綱の京極高辻の館を継いだ四男氏信が後に京極氏と呼ばれた。さらに道誉の孫高久が近江国甲良荘尼子郷(滋賀県甲良町)に住し、名字を尼子としたのが尼子氏の始まりである。嫡男詮久は近江尼子氏を継ぎ、次男の持久は宗家京極氏が守護を務める出雲の守護代として同地に下向し、月山富田城を本拠とした。

    尼子経久(あまご つねひさ)
    戦国時代の大名、出雲守護代。官位は民部少輔、伊予守。出雲守護代・尼子清定の嫡男。
     宗家から守護代の地位を追われるが、守護である宗家京極政経に対抗して守護代塩冶掃部介を追放し、戦国大名として独立した。謀略の才に優れており、安芸・備後・備中・備前・美作・播磨・因幡・伯耆・出雲・石見・隠岐など山陰・山陽十一ヶ国を斬り取り巨大な版図を築き上げた。「十一ヶ国太守」と呼ばれる。
     子に、尼子政久や新宮党と呼ばれた尼子国久がいる。嫡男政久も優れた武将であったが26歳で没。嫡孫の晴久が跡を継いだ。
  • 毛利元雄の寄進状が付く。
    • 毛利元雄は、長門長府藩の14代(最後の)藩主である毛利元敏の子。兄弟には、乃木希典の養子となった乃木元智や、毛利邦樹、多栄子(三条公輝室)らがいる。
      毛利元雄の娘に、津軽義孝伯爵(尾張徳川家の徳川義恕の子で津軽家を継いだ)に嫁いだ久子がいる。この娘の華子が常陸宮正仁親王妃となっている。常陸宮正仁親王は第125代天皇の弟宮にあたる。

来歴  

  • 弟の乃木元智の縁で乃木神社に奉納したものと思われる。
  • 大正15年(1926年)4月19日に旧国宝重要文化財)指定。




関連項目  


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