曜変天目

曜変天目(ようへんてんもく)  

天目茶碗のうち最上級とされるもの
耀変

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概要  

曜変とは  

「曜変」とは、「星の輝き、瞬き」を意味する。

曜変天目は漆黒の器であり、茶碗の内側には星の様にもみえる大小の斑文が散らばっており、その斑文の周囲は藍色や青色になっており、見る角度によって光彩が虹色に輝くことから「器の中に宇宙が見える」とも評される。

土味黒く、薬たち黒く、粒々と銀虫喰塗の如くなるうちに、四五分位丸みにて鼈甲紋有之、めぐりはかな気にて見事なり、星の輝くが如し。(名物目利聞書)

曜変、建盞の内の無上也、世上になき物也。地いかにもくろく、こきるり、うすきるりのほしひたとあり。又、き色・白色・こくうすきるりなとの色々ましりて、にしきのやうなるくすりもあり。萬疋の物也。(君台観左右帳記

「曜変」の初出  

中国では天目形の茶碗自体「天目茶碗」と呼ばず、「曜変」もまた日本で付けられた呼び名であり、室町時代の「能阿相伝集」が初出とされる。

曜変、天下に稀なる物也。薬の色如豹皮建盞の内の上々也(能阿相伝集)

製法の謎  

曜変茶碗は南宋の時代、福建省建窯でごくわずかに作られた茶碗で、その後二度と焼かれることもなく完全な形のものとしては世界中で日本に数点しか現存しない

2012年、中国浙江省の杭州の工場跡地から破損した状態の曜変天目茶碗が発掘された。砕かれた状態になっており、修復されたものの4分の1ほどが欠けている。

この曜変天目茶碗はその製法が伝わっておらず、どのようにして作ったのかが21世紀の現在も不明なままである。またなぜ中国に完全形の曜変天目が残らなかったかについても確かではない。

これまで幾多の陶芸家が曜変天目の再現を試みてきたが、完全なるものはいまだ作られていない。とくに茶碗の内側に点在する斑文については、どのような条件で発生するかが特定できておらず、予め重金属を手作業で塗布することにより再現を試みる場合もある。ただし中国で発見された破片および藤田美術館所蔵品の分析からは、窯の中で酸素ガスが噴霧されることにより偶発的に発生したものである可能性が高いことが明らかとなった。

現存  

日本に3点あり、すべてが国宝に指定される。

国宝指定を受ける茶碗は8点のみ。天目茶碗だけで5点を占める。種類別ではうち曜変天目茶碗の3点が最大で、残りは油滴天目茶碗1点、玳玻天目茶碗1点。

静嘉堂文庫 

曜変天目茶碗
高6.8cm 口径12.0cm 高台径3.8cm
国宝
静嘉堂文庫美術館所蔵

  • 本能寺の変で失われたものを除けば古来最も優れるとされる。

    曜変、稲葉丹州公にあり、東山殿御物は信長公へ伝へ、焼亡せしより、比類品世に屈指数無之なり、茶碗四寸五分位、高臺ちひさし、土味黒く、薬たち黒く、粒々と銀虫喰塗の如くなるうちに、四五分位丸みにて鼈甲紋有之、めぐりはかな気にて見事なり、星の輝くが如し。(名物目利聞書)

  • 元は柳営御物(徳川将軍家所蔵)。春日局が病に臥せった時に家光が下賜した。その後、淀藩稲葉家に伝わり、「稲葉天目」と呼ばれる。
  • 明治維新まで同家に伝わる。
  • 大正7年(1918年)3月18日に両国美術倶楽部にて同家の売立が行われ、拾六萬八千園で三井財閥の小野哲郎氏(妻は稲葉正縄子爵の娘煕子)に譲渡された。
  • 昭和9年(1934年)に岩崎小弥太が入手する。しかし小弥太は「天下の名器を私如きが使うべきでない」として生涯使うことはなかったという。
  • 昭和16年(1941年)7月3日重要文化財指定
  • 昭和26年(1951年)6月9日国宝指定、財団法人静嘉堂蔵
  • 現在は静嘉堂文庫所蔵

藤田美術館蔵  

曜変天目茶碗
高6.8cm 口径13.6cm 高台径3.6cm
国宝
藤田美術館所蔵

  • 柳営御物、のち水戸徳川家伝来。
  • 大正7年(1918年)10月27日に水戸家道具売立が行われ、藤田財閥の藤田平太郎が五萬三千八百圓にて落札し、現在は藤田美術館所蔵。

    曜変天目茶碗 金五萬三千八百圓 山中 高山中

    山中 高山中は札元名。この時同時に出品されていた「古井戸茶碗 銘老僧」は金十四萬二千圓で落札されている。こちらも藤田美術館所蔵

大徳寺龍光院蔵  

曜変天目茶碗
高6.6cm 口径12.1cm 高台径3.8cm
国宝
大徳寺龍光院所蔵(京都)

  • 大徳寺塔頭寺院である龍光院に伝来したもの。
  • 天王寺屋津田宗及が所持していたもので、菩提寺である大通庵に納められ、慶長15年(1610年)に津田宗及の子である江月宗玩が大徳寺龍光院を継いだころより大徳寺に伝わった。

    江月和尚以来、大徳寺龍光院の御物たり、古来此曜変天目一つを売却すれば、優に一寺を建立する事を得べしと言ひ傳たりとぞ。

  • 国宝三碗のうち最も地味だが幽玄な美しさを持つと評価される。
  • 明治41年(1908年)4月23日重要文化財指定
  • 昭和26年(1951年)6月9日国宝指定、龍光院蔵
  • ※通常非公開であり、公開されることはほぼない。

その他  

歴史書などで曜変天目とされる茶碗は他にもいくつか存在する。

ただし「曜変天目」であるかどうかについては議論の分かれるところであり、「油滴天目」だという指摘もあり定まっていない。

MIHO MUSEUM蔵  

曜変天目茶碗
高7.1cm 口径12.4cm 高台径3.9cm
重要文化財
秀明文化財団所蔵

  • 加賀藩主前田家伝来。
    前田家には曜変天目が2つ伝来し、うち1点は現在根津美術館所蔵となっている。
  • 明治から昭和の作家大佛次郎が所持していたもの。
  • 昭和28年(1953年)11月14日重要文化財指定
  • 現在はMIHO MUSEUM所蔵。
    この天目茶碗を「曜変」と呼ぶかどうかは議論があり、「油滴天目ではないか」とする意見もある。

徳川美術館 

曜変天目(油滴天目

根津美術館蔵  

曜変天目
高6.7㎝ 口径11.8㎝ 底径3.9㎝
重要美術品
根津美術館所蔵

  • 元は加賀前田家に伝来した二碗のうちの一つ。
  • 内箱の蓋表に「曜変」と小堀遠州の筆になる金粉字形の書付があるが、むしろ油滴天目と分類されるべきとの見方もある。
  • 現在は根津美術館所蔵

失われた曜変天目  

上記3点しか現存しない曜変天目茶碗だが、記録によれば過去にもう一点存在したという。

足利義政から織田信長に伝わり、本能寺の変で焼失してしまった。日本に伝わった曜変天目のうち最上級であったとされるが、確認するすべはない。

曜変、稲葉丹州公にあり、東山殿御物は信長公へ伝へ、焼亡せしより、比類品世に屈指数無之なり(名物目利聞書)

  • かつて東山御物で信長に伝来した曜変天目については本能寺で焼失してしまったために、残るものの中では稲葉丹州公所蔵(現在は静嘉堂文庫蔵)のものに比類するものはないといっている。

関連項目