大国綱

大国綱(おおくにつな)  


国綱
二尺七寸七分
名物 大国綱

  • 「光鬼」とも。
  • 享保名物帳所載(ヤケ)

    大国綱 長二尺七寸七分 代金百枚 御物
    長き故に名付、表裏樋鎺の上にて掻留る、京都将軍家重代なり

由来  

  • 長いために名付けられた。

来歴  

  • はじめ播磨守護赤松満祐の所持。
  • 嘉吉元年(1441年)6月、将軍義教を殺した事件で一族が自刃して果てたため、この国綱は将軍家のものとなった。
  • 元和元年の大坂夏の陣ののち、掘り出される。
  • 秀忠が召し上げ、金具の新調も行われたのか、本阿弥および埋忠の押形に残る。
  • 明暦の大火で焼けたのか、享保名物帳では焼失の部に記載されている。
  • 明治2年の「御腰物台帳」には見当たらないため、それ以前に徳川家から出たことがわかる。
  • 現在行方不明。