大国綱
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大国綱(おおくにつな)
- 「光鬼」とも。
由来
- 長いために名付けられた。
来歴
赤松満祐
- はじめ播磨守護赤松満祐の所持。
足利将軍家
- 嘉吉元年(1441年)6月、将軍義教を殺した事件で一族が自刃して果てたため、この国綱は将軍家のものとなった。
秀吉
- 秀吉の所蔵
大坂物内
秀忠
- 元和元年の大坂夏の陣ののち、掘り出される。
- 秀忠が召し上げ、金具の新調も行われたのか、本阿弥および埋忠の押形に残る。
- 「駿府御分物刀剣元帳」の上々御腰物に記載されていることから、一度家康に贈られ、その死後将軍秀忠が相続したと思われる。
焼け
- 現在行方不明。
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