鍋通し正宗

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鍋通し正宗(なべとおしまさむね)  

短刀
刃長八寸

  • 享保名物名物追記

    鍋通し正宗 無銘長八寸 大坂御物
    表劍裏棒樋加賀様より右衛門督へ進せられ候刀歟

    • 「加賀様」は加賀前田家、「右衛門督(うえもんのかみ)」は誰か不明。詳註刀剣名物帳でも「此説明も漠然として分らず」としている。なお織豊期では、毛利輝元、池田利隆(輝政の長男)、山名祐豊などが右衛門督となっている。
  • 中心の長さ三寸二分。差表に護摩箸、裏に腰樋をかく。
  • 目釘孔2個。鑪目は筋違い、中心先は剣形。無銘で千貫折紙つき。

来歴  

  • 慶長16年(1611年)3月27日、豊臣秀頼が京都二条城で徳川家康と面会した際に、家康からこの「鍋通し正宗」と「大左文字」の刀を贈られた。秀頼からは一文字の刀、左文字の脇差とを贈っている。

    家康公より秀頼公へ被進物、
    御刀一腰、大左文字、御脇指一腰、鍋とをし、御鷹三居、何も鳥屋之大鷹也、御馬十匹也、(当代記)

    「創業記考異」では「鍋藤四郎」、「神君御年譜」では「吉光ノ短刀、號鍋藤四郎」とする。

    日本刀大百科事典では、「大阪では一之箱に納めた」とするが、それは「鍋通貞宗」の誤りではないかと思われる。本刀は前田家から右衛門督に贈られたという来歴が記され、さらに大坂御物となっているためそこから秀頼(秀吉)に贈られたということになる。

  • 「慶長五年ゟ太閤様以後進上御腰物帳」所載

      右之外
    一、鍋通正宗御脇指  大御所様ゟ被進之一之箱え入

  • 豊臣家御腰物帳の一之箱の追記部「大御所様ゟ被進之候 但慶長十六年三月御上洛之時」に、「鍋通御脇差」として記載されている。

    一之箱 鍋とをしの御脇差 此箱え入 但太閤様以後
    豊臣家御腰物帳

  • しかし、落城の際消失したと見え、その後は消息不明。
  • 名前の似たものに「鍋通貞宗」がある。大坂側の記録が正宗で一致しており、恐らく「鍋通貞宗」の伝来が享保名物帳での「加賀様より右衛門督へ進せられ候刀歟」ではないかと思われるが詳細はわからない。