大左文字
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大左文字(おおさもんじ)
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来歴
- 関ヶ原合戦時には家康が佩用したという。
- 慶長16年(1611年)3月28日に、京都二条城において徳川家康と豊臣秀頼が行った二条城会見において、家康から秀頼に盃に注ぎ、大左文字の刀と脇差「鍋通し正宗」が贈られた。秀頼も返杯し、一文字の刀、左文字の脇差を贈っている。
家康公より秀頼公へ被進物、
御刀一腰、大左文字、御脇指一腰、鍋とをし、御鷹三居、何も鳥屋之大鷹也、御馬十匹也、(当代記)
- 寛永2年(1625年)2月26日、秀忠より尾張家初代義直が拝領する。
- 延亨2年(1745年)の「御腰物帳」には、一番目の「物吉貞宗」から「池田正宗」「奈良屋貞宗」に続き、四番目に次のように記載されている。
- 現存し、徳川美術館所蔵
清正の短刀
- 二条城での会見の際、加藤清正は家康が秀頼を殺害するのではないかとの疑いを持っており、決死の覚悟で短刀を忍ばせて秀頼に付き従ったという。
- この時の短刀は現存し、現在熊本県指定の有形文化財。
短刀
銘 備州長船祐定作/永正十三年二月日
熊本県指定有形文化財
個人蔵
- 鞘は清正拵網代鞘と呼ばれる。
- 金物は「四分一」と呼ばれる銅3銀1の割合の合金を使った渋い銀色をしており、角材は赤牛角を磨き出し、また塗りは「しぼ塗」と言う固めの漆を使って色々な模様を出す塗り方法が用いられている。
大左文字
- 左文字は、左文字一派の銘。
- 初代は、鎌倉後期豊後国彦山の修験僧鍛冶の流れを汲む実阿(じつあ)の子で、左衛門三郎と称す。左安吉。
- 銘を、表に「左」、裏に「筑州住」と切ることから「左(さ)」と呼ばれるが、「一」の一字を切る備前一文字派同様に、一般には「左文字」と呼称される。
- 左文字一派の中でも初代の安吉はとくに「大左(おおさ)」または「大左文字(おおさもんじ)」と呼ぶ。「親左文字」とも。
- この「名物 大左文字」は、その安吉作刀の中でも特に出来映えが素晴らしく、そのために「大」の文字を付けて呼ばれている。同様のものに、「大包平」(国宝)、「大三原」、「大青江」、「大兼光」(重文)等がある。逆にこぶりなことから「小」の字がつく名物もある。
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