黒川幸七


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 黒川幸七(くろかわこうしち)

実業家、古美術収集家

  • 黒川古文化研究所で収蔵する古美術品8,500件(2万点)は、主に2代目幸七が蒐集したものである。
Table of Contents

 概要

 初代:黒川幸七

  • 黒川家は、大坂の両替商から証券会社を起こした商家。
    現、あかつきフィナンシャルグループ配下のあかつき証券の源流会社のひとつ。大正7年(1918年)「株式会社黒川商店」、昭和42年(1967年)「黒川証券株式会社」を経て、昭和52年(1977年)に「木徳証券株式会社」と合併して「黒川木徳証券株式会社」に改称。平成23年(2011年)にあかつき証券に社名変更。
  • 天保14年(1843年)京都府乙訓郡羽束師村志水に生まれた初代黒川幸七は、12歳で父を、14歳で母を亡くし、京都・大坂の商家に奉公して文久年間に独立し両替商となる。
    当時大坂の大両替商として「米屋」殿村平右衛門が知られており、鴻池・広岡と匹敵する規模であったという。この殿村家の別家に米屋石崎喜兵衛(米喜)がおり、享保9年(1724年)から酒造を行い宝暦5年(1755年)には「沢の鶴」を売り出していた。現、沢の鶴株式会社(酒造会社)。沢の鶴では現在も米印マークを使っている。
     初代黒川幸七は、この米喜こと石崎喜兵衛と関係を作ることで両替業を習得したという。
  • 明治11年(1878年)、大阪株式取引所開設にあたり、「黒川幸七商店」を創業し、仲買人となる。
  • 初代幸七は明治33年(1900年)2月没。
  • 夫人リウは、嘉永元年(1848年)兵庫県津名郡洲本の生まれ。初代幸七の後妻で、2代目幸七の生まれた翌明治5年(1872年)1月25日に結婚している。

 2代目:黒川幸七

  • 2代目幸七は、明治4年(1871年)12月9日に初代幸七の二男・孝吉として生まれる。
  • 初代である父・幸七の没後家業を継ぐが、実際には先代夫人である「りう」が仕切っていたとされる。2代目幸七はどちらかといえば学究肌で、美術品蒐集をもっぱらとした。また仏教に帰依しており、雲伝神道の開祖・慈雲を敬慕して高貴寺(南河内郡河南町)に日参していたという。
  • 2代目幸七は、中国の古美術品をはじめとして、墨、香木などを収集している。
  • 昭和13年(1938年)2代目幸七没。67歳。
  • 夫人こう子は、米喜こと石崎喜兵衛の五女。この夫婦の間の娘がいく子で、明治28年(1895年)4月3日生まれ。

 3代目:黒川幸七

  • 3代目幸七は、本名木村福三郎。
  • 明治26年(1893年)1月4日、東京深川の米穀問屋・木村徳兵衛の三男に生まれる。のち大正6年(1917年)に黒川いく子と結婚する。
    なお本間順治氏の「思い出の刀剣人」で、「いく子刀自の父上の初代幸七さん」として登場するのは二代幸七であると思われる。いく子氏は昭和42年(1967年)には黒川古文化研究所の理事長として第1回芦屋市民文化賞を受けている。
  • 黒川幸七商店は大正7年(1918年)に株式会社黒川商店に改組。この時、3代目幸七に家業を譲っている。
  • 昭和13年(1938年)2代目幸七が死去し、福三郎は3代目幸七を名乗る。
  • 福三郎も古文化に関する理解が深く、昭和25年(1950年)10月15日、黒川古文化研究所を設立している。
  • なお本間順治氏が黒川家に出入りしたのは3代目福三郎氏の時からだという。

    私が黒川家に出入りしたのは福三郎さんの時代からで、全部を調査して国宝・重美などを選んだが、さすがに名刀があるだけでなく、鑑定道具にふさわしいものもあって、多彩であり、また肥後鍔が光っていた。
     その中で義広二字銘で、一見相州広光あたりの上出来と思われるものがあり、はたして元の銘が広光であったことを私が土屋押型の原本で発見して福三郎さんに報告すると、夫婦合議の結果、義の字を削除することとなり、私がお世話をしたことであった。

  • 昭和24年(1949年)、黒川商店は株式会社黒川証券に商号変更する。
  • 昭和36年(1961年)7月31日、3代目幸七没。68歳。
  • 夫人であるいく子が4代目社長、黒川古文化研究所理事長となっている。
    昭和43年(1968年)11月にいく子は社長業を小西陽之助に譲り、会長となっている。
  • 黒川証券は、のち昭和52年(1977年)に木徳証券(旧木村徳兵衛商店)と対等合併し、黒川木徳証券となる。平成23年(2011年)、商号をあかつき証券へと変更している。
  • 昭和55年(1980年)5月7日、黒川いく子死去、85歳。子女がいなかったため黒川家は断絶している。

 黒川古文化研究所

  • 戦後、主に2代目が蒐集した古美術品の管理方法について識者に相談し、「ひろく中国と日本を主とした東洋の古文化を調査研究して、その知識を広く世に普及して社会文化の発展に寄与する」ことを目的として、昭和25年(1950年)10月15日に黒川古文化研究所を設立する。初代理事長は3代目黒川幸七。
  • 当初、兵庫県芦屋市打出春日町の邸宅がそのまま研究所として使用されるが、昭和49年(1974年)11月に現在地である西宮市苦楽園に移転している。
  • 財団法人の認可は昭和25年(1950年)10月。
  • 平成23年(2011年)4月には公益財団法人に認定されている。

 刀剣

伏見貞宗
短刀 朱銘貞宗 本阿弥(花押)。名物伏見貞宗」 国宝
篭手切江
無銘 金象嵌コテ切義弘/銀象嵌稲葉丹後守所持
鳥飼来国次
銘 来国次 7寸9分 重要美術品
太刀
銘 国光
太刀
菊御作

 関連項目


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