綱切丸


 綱切丸(つなきりまる)

太刀
無銘
刃長二尺三寸六分(71.3cm)
諏訪神社旧蔵

  • 生ぶ中心、目釘孔6個。無銘。
  • 作者不明だが、備前正恒と見られている。
    一般に平安末期の作とされるが、「長野県史 美術建築資料編」では14世紀鎌倉時代の作とする。
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 由来

  • 寿永3年(1184年)正月、宇治川の戦いでの梶原景季との先陣争いの際に、佐々木高綱は名馬「生唼(池月、生数寄)いけづき」に乗り、本刀で河中の綱を切ったという。
    • ※この佐々木高綱の兄が「藤戸石」で有名な佐々木盛綱である。

 来歴

  • 佐々木高綱の太刀はその後、いつしか信州諏訪神社に伝来した。
  • 明治10年(1877年)に開催された第一回内国勧業博覧会に出品された。

    信州諏訪 諏訪神社宝物 綱切り丸太刀

  • 明治44年(1911年)4月17日、旧国宝重要文化財)指定。

    丙種 刀劔
    絲巻太刀無銘(社傳綱切太刀 一口
    長野縣諏訪郡
    官幣中社 諏訪神社
    (明治44年 内務省告示第34號)

  • 大正14年(1925年)の「大社宝物登録台帳」記載。

    宝二五三号
    綱切太刀 壱腰
    直刄ニ小乱雑、鎺四分一、弐枚切羽滅金
    大切羽紫銅、革鐔木瓜形、紫銅覆輪、
    縁頭猿手紫銅、一二ノ足鐺鉄、柄下麻布、
    柄糸廃シ無シ、目貫無シ、鞘巻二ノ足迄、
    緒平打糸巻色不明、二ノ足ヨリ鐺迄平革巻、
    長弐尺参寸五分
    無銘伝来所由不詳
    明治四十四年五月十二内務省告示三号ヲ以テ国宝指定、遊就館保管昭和十六年六月二十六日返還受納

  • 昭和16年(1941年)の「大日本刀剣史」にも載る。

    一、絲巻太刀 社傳正恒作、綱切太刀、佐佐木高綱佩刀、無銘、長サ二尺三寸五分、表裏刀樋、刄文丁字亂、生忠、目釘穴一ツ。
    この綱切は古記録散逸して詳かではないが、社傳によれば、高綱老後松本在栗林といふ所に正行寺と稱する一寺を建立、爰にて入道するに當り、既往の戦功奉捨の為、宇治川戦闘當時の佩刀をそのまゝ奉納したものとある。又正行寺は松本市に移されて、今も現存してゐる。

    長野県松本市大手にある真宗大谷派大宝山専修院正行寺と、松本市島立南栗にある浄土真宗本願寺派大宝山高綱院正行寺は、親鸞聖人の弟子である了智上人となった高綱が建立したと伝えられており、近くには「釈了智上人承久三年十月二十五日寂佐々木四郎高綱」と書かれた墓碑銘を持つ、高綱のものと推定される墓がある。
    了智上人の墓 - 松本市ホームページ

  • 昭和35年(1960年)6月1日の夜、山田満喜男が諏訪下社の宝物殿からこの「綱切丸」と油小路忠吉の太刀を盗み出すが、この盗難事件は当時大騒ぎとなり、山田は処分に困り、刀身と拵を切断した上で諏訪湖に投棄してしまった。必死の捜索が行われたが、発見されることはなかった。
    共に盗まれた太刀は、油小路忠家の父とされる油小路忠吉の作で二尺四寸六分(74.6cm)。寛文7年(1667年)に松平忠輝が奉納したと伝わる。明治44年(1911年)に旧国宝指定、昭和25年(1950年)に重要文化財指定。忠輝は元和2年(1616年)に兄秀忠から幽閉を命じられ、寛永3年(1626年)には諏訪へと移されている。天和3年(1683年)に諏訪高島城で没。

     そのころ、昭和三十五年六月のとこであった。
    長野県下諏訪町、私の住んでいる諏訪市の隣の町の、諏訪大社(下社=秋宮)内にある宝物館で、一つの盗難事件がおきた。
     それは、総檜宝殿造りの宝物展示殿兼町営博物館の窓に嵌められた太い欅の桟を、糸のこで引ききって入った盗賊が、数ある陳列品から迷いもせず、一直線に「忠吉」在銘刀(旧国宝)と、伝佐々木高綱奉納の宇治川先陣の説話で有名な綱切丸の二振を、もちさったのである。とくに前者は、もう数少ない平家伝世刀のはっきりした一例であり、信長──家康──松平忠輝とつたわった、その経歴も正しく残った名宝だった。
     指紋一つ、足あと一つ残さなかった、その鮮やかな盗みぶりは、田舎の警察陣を、完全にあきれさせた。

     宝物殿は希望参観者に公開していたが、閉館した一日午後五時まで異常がなく、二日午後零時半頃同社事務員N子さん(当十九才)が小学校生徒の参観にそなえ同館の戸を開けた際に発見したもので、従って犯行は一日午後五時頃から翌二日正午頃までの間と云うことになる。下社秋宮境内に建てられたこの宝物殿は木造平屋造りであったが同館東側の鉄棒がこじ曲げられ、さらに次の格子二本はノコギリで切られていることから犯人はそこから侵入し陳列館のガラス戸の鍵をこわして盗み出し、更に西側の扉のカンヌキをはずし逃出したものと断定したが、同じく陳列場にあった他の貴重古物品 例えば売神祝印(めがみはふりのいん)などの重要文化財が盗まれていないので同署は同館の事情にくわしく名刀のみをねらっての計画的犯行として捜査を続行したのである。(中略)
     さて、名刀二振の行方について捜査中の諏訪署は事件発生六ヶ月後、聞き込み捜査から或る人物が浮上してきた。昭和三十五年十二月六日甲府市の材木業某氏方事務所机上より同氏所有の年賀ハガキ一五〇枚(時価合計六〇〇円相当)を窃取したとして同年十二月十七日日雇山人夫Yなる者を盗みの疑いで逮捕し、更に余罪を追及した処、翌三十六年一月中旬本件の宝刀窃取事件を自供したものである。(中略)
     一月十八日付同紙(信濃毎日新聞)はYが自宅の作業場で金ヤスリやノコで刀身を二、三に折り、拵と白鞘をいろりで燃やした……そしてばらばらにした刀身を”折箱”につめて諏訪湖へ持出し十メートル間隔くらいで捨てたと云うYの自供を発表し、更に翌十九、二十日両日の紙上にも続けて一部品を発見し最も証拠となる「鞘の留金」「未発見名刀探し打ち切り」等の記事を掲載して一段落となった。然し諏訪湖に捨てたと云う名刀二振の捜索については、その探索に難儀をした模様であったが結果的には何も発見出来なかった事はまことに残念であり、当時の諏訪署刑事課長北原薫明氏(現指定自動車教習所協会事務局長)は次のように語ってくれた。
     ”盗んだ太刀二振について犯人は宝物刀を盗んで一儲けする積りであったが新聞等で大きく報道され驚いてしまった。そこで、しばらく自宅に隠しておいたが売ることもできなくなったので仕方なく自分の守り刀にすることにし、自宅の作業所で金ヤスリ、金槌等を使ってそれぞれ二つに切断し、短刀様にして持ち歩いていたが、捜査が自分の身辺に及んできたことを察知し、その年の暮に高浜からボートで諏訪湖に乗り出して沖合に捨ててしまった、との自供を得た。犯人の取調べ状況からこの自供は真実性があったので、現地に連れて行って犯人の捨てたと云う場所の確認を行った。その年の冬は寒く諏訪湖は一面に結氷していたが、犯人の示した場所が大体確認できたので、急遽神奈川県警から重さ三十キログラム余りもある大型マグネットで出来ている水中凶器発見器を借り捜査員十六名を動員し、犯人の示した場所を中心に二十乃至三十センチメートル余りの厚さに張りつめた氷を鋸で切り開き水面に機動隊の鉄舟を浮べて湖底にマグネットを沈めて捜索を実施した。この作業は一月十六日から二十日頃まで行なったが、湖上を吹き抜ける寒風に晒され捜査員の衣類は濡れると直ちにバリバリ凍りつく等、こごえるような寒さの中で懸命な捜索を続けたが湖底からは空缶、鉄屑、釣針などが上がっただけで目的とする刀片はとうとう発見するに至らなかった。一方犯人宅を捜索した結果、作業所から鉄粉少量や、拵の一部が発見されて自供の裏付がとれ犯行が立証された”ということである。


  • 佐々木高綱の「綱切」は異説が多数ある。
  • 諏訪神社に伝わったものが本刀で、その他享保名物の「綱切筑紫正恒」がある。
  • また相良家、島津家にも「綱切」が伝来するが、この二刀については綱を切った人物が佐々木高綱ではない。






 油小路忠吉

  • 参考)同時に旧国宝重要文化財)指定され盗難された油小路忠吉。

    太刀 銘忠吉 油小路忠吉作  官幣大社 諏訪神社藏
       身長 二尺四寸六分  反八分  幅元九分五厘 先六分  棟厚元二分三厘 先一分五厘
       茎長六寸三分
     姿は鎬造庵棟、地鐵は小板目沸付き、刃文は丁字を主とする小亂れでやゝ小ずみ、匂深く沸付き、帽子は沸崩れてゐる。茎は磨上げ、生ぶ鑢は勝手下がり、太刀銘に「忠吉」とある。
     油小路忠吉の作と傳へてゐる。忠吉は粟田口久國の流で鎌倉中期の刀工と傳へてゐるが作品は他には殆ど見常らない。

    丙種 刀劔
    絲巻太刀銘忠吉 一口
    長野縣諏訪郡
    官幣中社 諏訪神社

    寛文7年(1667年)松平忠輝寄進と伝わる。

    刀工総覧」では油小路忠吉は山城油小路忠家の父で、建武頃とする。また「古刀銘集録」では同銘2人あり城州粟田口一派二字銘油小路住、建長、建武とし、その子忠家は油小路と打ち城州粟田口一派藤五郎と号す(延文、一三五六吉野朝)とする。

  • 大正14年(1925年)の「大社宝物登録台帳」記載。

    宝一〇八号
    太刀 壱腰
    拵付三十九年一月二十日諏訪郡玉川村矢島弥源治
    寄進由来奉納書中ニ詳記
    明治四十四年五月十二日内務省告示三四号ヲ以ツテ
    国宝指定
    遊就館保管、昭和十七年七月三日返還

 関連項目

綱切筑紫正恒
佐々木高綱所持、享保名物帳所載。
綱切貞宗
織田信長所持、蠣崎(松前)家伝来。
綱切
相良家蔵、島津家蔵。

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