福島兼光
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福島兼光(ふくしまかねみつ)
- 庵棟、佩き表に草の剣巻き竜、裏に梵字三個。その上に表裏とも棒樋と添え樋。鋩子は乱れこんで小丸に返る。中心うぶ、目釘孔5個。銘は佩き表に「備州長船住兼光」「観応元年八月日」。
由来
- 福島正則が広島の本覚寺(本国寺とも)から手に入れたためこの名がある。
来歴
福島正則
- 福島正則が慶長5年(1600年)に広島城主になった後、城下の日蓮宗本覚寺の住持を処罰することがあり、のちその寺に「兼光」があることがわかったため没収し、自分の佩刀とした。
- 元和5年(1619年)福島正則は、広島城を無断で修繕したことが問われ領地を没収され、信濃国川中島四郡中に4万5,000石(高井野藩)に減転封となる。
- 寛永元年(1624年)に死去している。
- 本刀がいつ福島家を出たのかは不明だが、「本阿弥光瑳名物刀記」の”福島左衛門大夫殿”にも記載が無いところを見ると、かなり早く(広島を出た頃?)に出た可能性もある。
前田家
- 明治19年(1886年)11月靖国神社大祭のときに遊就館に出品されている。
- 昭和8年(1933年)7月25日に重要美術品指定。前田利為候爵所持。
- 戦後に前田家を出る
渡邊三郎
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