石田貞宗
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石田貞宗(いしださだむね)
- 無銘平造り。
- 表には梵字、蓮華、火形、護摩箸。裏には梵字と護摩箸の彫りが入る。
- 拵えの角頭は綠赤胴七子、目貫赤胴水雅、柄白鮫鶯茶糸巻、鐔赤胴丸形、小柄紋顕乗作光壽彫付銘。
由来
- 号は石田三成が所持したと伝えられることから名づけられた。
来歴
- 元は毛利家の家臣が所持していたという。
貞宗については、面白い話が残っている。これは、かつて毛利の家臣が大切にしていたのだが、三成がそれを見てほしくてたまらず、ついに得意の計略を出し、その侍に手紙を送った。曰く「もしその貞宗を殿下(秀吉)に見つけられたら、どんな目にあうかわからないから、黙って私によこせ」。──いかにも三成らしいところがよく表されているではないか。
- しかしそれとは別に、家康が三成を斬らずに榊原康政に預け、天寿をまっとううさせたという言い伝えが残る。この貞宗は三成が榊原家に贈ったもので、榊原家に伝来した。
- 昭和4年(1929年)3月の日本名宝展覧会では小山悦之助氏所持。
- 昭和32年(1957年)時点で山本賢三氏所持。
- 太平洋戦争後に静岡の佐藤寛次氏が元から所持していた「石田正宗」に加えて、本刀「石田貞宗」を入手している。
この二振りは、慶長年間に分かれ分かれとなってから、三百六十五年目にようやく私のところで、一腰に返ったわけである。
(中略)
その貞宗が私の手に入ったキッカケは、たまたま正宗の刀を持っている私と、貞宗を持っている山本賢三氏が本間先生のところで会った時のこと。先生がニコニコして、「やあ、これは石田の大小がそろったわい」と申された。すかさず山本氏は、「老いては子に従え」といわれて、小に大をそろえろと肉薄してこられた。そこで私は「子供は親爺の家に入るのが順当ではないですか」と切り返して、一応引き分けになった。
その後、五、六年たってしまったが、世の中にはまだまだ封建制度がのこっていたとみえて、ついに子は親に従った。しかし、貞宗の箱や折紙、それに正宗の箱はどこに散ったものやら、まだ私のところへはこない。そのうちに、せめて私の代に全部そろうようにと望んでいる。
- 現在は二腰ともに東京国立博物館所蔵。
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