百足丸
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百足丸(むかでまる)
- 土岐氏を通じ、三位源頼政が朝廷より下された名刀。
- なお「百足丸」という名を持つ刀の伝承が各地に存在する。
由来
- その刀身は青白く光り、夜目にはあたかも一匹の巨大な百足に見えるところから百足丸と呼ばれたという。
来歴
- 平安時代末期、近衛帝の御代に、御所清涼殿に夜ごと出没し、帝を悩ませた魔獣"鵺"がいた。
- それを当時妖怪退治の第一人者であった源頼政が、山鳥の尾で作った尖り矢で射殺したという。
- その際、帝から鵺退治の褒美として、「獅子王」という刀を拝領した。
- 後に、土岐美濃守頼芸の次男左馬助頼次が、徳川家康から拝領したという。
- 獅子王の剣。
- つまり「獅子王」の別名ということになる。
百足丸(むかでまる)
太刀
刃長二尺四寸七分
- 後北条氏で、のち幕臣となった北条家伝来。
- 表裏に棒樋、佩き表の樋の中に「大悲多聞天」と彫る。
- 中心うぶ。佩き表に「備州長船秀光」、裏に「明徳三年二月日」と在銘。
- 明徳3年は1392年。
- 大悲多聞天とは、大慈悲を示す多聞天であり、毘沙門天のことという。
朝岡家伝来
- 三河蟠豆郡宮尾村の旧家、朝岡家伝来。
- 祖先は紀州浪人で、剣術の達人であった。
- 何代目かの娘が、この太刀を重宝とはつゆ知らずに竹をきろうとしたところ、百足がたくさん這い出してきたという。
- のち、娘が中田付近に輿入れした時に持参し、その後行方不明になった。
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