平家納経


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 平家納経(へいけのうきょう)

絵画
平家納経
国宝
厳島神社所蔵

  • 一つ書
  1. 法華経(開結共)三十巻
    ・前半14品(迹門)、後半14品(本門)、開教「無量義経」、結経「観普賢経」
    ・分別功徳品に平盛国 法師功徳品に長寛二年平清盛 薬王品に平盛信 厳王品に長寛二年平重康の奥書がある
  2. 阿弥陀経一巻:平清盛の奥書がある
  3. 般若心経〈/(紺紙金字)〉一巻:仁安二年平清盛書写の奥書がある
  4. 長寛二年平清盛願文一巻
  5. 金銀荘雲龍文銅製経箱一具
  6. 蔦蒔絵唐櫃一合:慶長七年福島正則の寄進銘がある
  • 「平家納経」、「厳島経巻」
Table of Contents

 概要

  • 「平家納経」は、平家一門がその繁栄を願い、厳島神社に奉納した経典類をいう。
  • 『法華経』30巻(『無量義経』、『観普賢経』)、『阿弥陀経』1巻、『般若心経』1巻、平清盛自筆の願文1巻と、銅製経箱・唐櫃からなり、平安時代の装飾経の代表作で、当時の工芸を現代に伝える一級史料でもある。
  • 経典を筆写したのは、平清盛を始め、重盛・頼盛・教盛ら平家の一族。それぞれ一巻を分担し結縁する形で筆写した。長寛2年(1164年)に厳島神社に奉納されたが、各巻の奥書を参照すると、全体の完成には仁安2年(1167年)までかかったことがわかる。
  • 慶長7年(1602年)には福島正則が願主となり修理が行われている。蔦蒔絵唐櫃はこの際に献納されたもの。俵屋宗達に命じて見返し絵3巻を新写修補している。
  • 慶安元年(1648年)浅野長晟は「平家納経」の重修を加えている。(唐櫃蓋裏銘)
  • さらに昭和34年(1959年)には『薬草喩品』の表紙及び見返しが、安田靫彦による彩絵に改められた。
  • 明治30年(1897年)12月28日、旧国宝指定。

    甲種一等
    繪畫
    平家納經及願文紙本著色卷物三十三卷
    (傳平清盛等筆)
    廣島縣佐伯郡嚴島町 嚴島神社
    (明治30年 内務省告示第八十八號)

  • 昭和29年(1954年)3月20日、全点が国宝に指定された。

 納経の経緯

  • 神社である厳島神社に仏教の経典が納経されたのは、江戸時代以前の神仏習合による。
  • 江戸時代まで厳島神社の主祭神とされた伊都岐島大明神は本地堂に祀られており、清盛はこの本地仏である十一面観音菩薩を信仰していたことから、納経は十一面観音菩薩に納められた。納経の33巻という数字は、本地仏十一面観音菩薩の三十三応現身(三十三身)思想に基づくものである。
  • 仁治2年(1241年)の「伊都岐嶋社神官等申状案」が残されており、清盛の時代でも伊都岐嶋社と称していたことがわかる。厳島と名を変えたのは戦国時代で、毛利元就の庇護を受けた棚守氏が、吉田神道の吉田兼右を招き、主祭神を市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命としたという。


 展示

  • 明治期には度々展示も行われていた。※主な全巻展示
  1. 明治8年(1875年):京都府博覧会
  2. 明治13年(1880年):内務省博物局(現、東博)
  3. 明治15年(1882年)10月:第1回内国絵画共進会

      廣島縣下安芸國  嚴島神社出品
    ○古寫經及ヒ願文  丗三巻
    嚴島名所圖會云法花經二十八巻無量義經一巻觀普賢經一巻般若心經一巻ノ筆者ハ平家一門ノ人々ナルコトハ願文ニ弟子(後略)

  4. 明治17年(1884年)4月11日~5月30日:第2回内国絵画共進会
  5. 大正15年(1926年):副本調製会による、副本完成のお披露目(後述)
  6. 昭和15年(1940年)4月:奈良帝室博物館にて紀元二千六百年記念展「平家納経展」
  7. 昭和29年(1954年)4月13日~25日:東博にて「平家納経特別展」 ※国宝指定記念

    今回、経筥まであわせての展観は、神社としても画期的なことであるが、たまたま同経が新たに国宝に指定されるため、文化財保護委員会にはかる必要から現品を東京に取りよせ、その機会に神社側の理解ある取り計らいで、館での特別展観が実現したもの

  8. 昭和47年(1972年)10月:京博にて「平家納経と厳島の秘宝展」
  9. 平成17年(2005年):台風被災復興支援「厳島神社国宝展」。1月奈良国立博物館、3月東京藝術大学
  • 現在、厳島神社では普段は田中親美による模本(レプリカ)が展示されており、国宝実物については、年1回程度一部が公開されている。

 複本

  • 大正期に田中親美により模本が制作され、うち一組は厳島神社に、残りは東博ほかで所蔵している。
  1. 原本:厳島神社所蔵(国宝) ※通常非展示
  2. 模本:厳島神社所蔵 ※通常展示
    →模本(益田本):東博所蔵
    →模本(大倉本):大倉集古館
    →模本(安田家本)
    →模本(松永本)「厳王品」1巻:東博所蔵(松永安左エ門寄贈)

 藝州嚴島圖會

墨刷版本
厳島図会
10冊
岡田清編
山野峻峯斎画

 厳島神社蔵経模本

絵画
8巻
長命晏春他模
東京国立博物館所蔵

  • 明治時代に長命晏春や遠藤貫周らにより模写されたもの。東京国立博物館所蔵。
  • 明治15年(1882年)に開催された第1回内国絵画共進会ののち、帝室博物館にて預かった上で修復を施しており、その後明治17年(1884年)に行われた第2回内国絵画共進会にも原本が出品されている。
  • 第1回の展示の後、模写が行われた。なお模写本は、明治16年(1883年)5月31日の日付から明治17年(1884年)の日付のものが含まれている。
  • さらに後年、この模本を元に宮内省および川島織物により模写が行われている。
    川島織物(かわしまおりもの)
    初代川島甚兵衛が天保14年(1843年)に創業した呉服悉皆業の会社。現、川島織物セルコン(LIXIL完全子会社)。二代川島甚兵衛は、明治32年(1899年)に澤部清五郎に依頼し、平家納経の模写本の再模写を行った。

 厳島経巻(模本)

絵画
8巻
前田氏実・永井幾麻模
東京国立博物館所蔵

 厳島神社所蔵

絵画
彩箋墨書33巻
田中親美
厳島神社所蔵

  • 厳島神社宮司であった高山昇は、保存状態の懸念から大正9年(1920年)に益田孝および高橋義雄に副本制作を依頼し、厳島経副本調製会が設立されて財界人30余名から資金が集められた。

    当日平家納経数巻を会場に披展し、事由を臨場の士女に告げて一人一巻調製費喜捨を乞ひしに、來衆欣んで之に応じ未だ半日ならずして三十四人の浄施を獲たるのみならず、其後更に賛加を望む者あり

  • 複本は田中親美により5年の月日をかけて制作され、厳島神社に納められた。
    模本制作時には、現物を10巻づつ品川御殿山にあった益田鈍翁邸の倉庫に保管しておき、それを2・3巻ずつ田中親美が渋谷の自宅に持ち帰って模写を行った。
  • 模本完成時、大正14年(1925年)11月10日~13日にかけ東京帝室博物館(現、東博)にて、さらに15日~16日には京都博物館(現、京博)での展示も行われている。

    大正十四年十一月嚴嶋經副本完成を告くるや先つ之を副本調製發起者及ひ一般好事家に展示せんと欲し同月十一日より三日間東京帝室博物館内表慶館に正副經巻並に副本奉納文を披陳し越えて十五日より二日間更に之を恩賜京都博物館に移展して遍ねく天下同好の縦覧に供せり是より先き同月九日
    皇后陛下(貞明皇后)帝室博物館に行啓あらせられ偶ま彼の副本を叡覧あつて御感斜ならす破格を以て調製者田中親美を御前に召されて優渥なる御賞詞を賜りたるは啻に田中氏一人の栄誉なるのみならす發起者一同に取りても亦無上の幸慶と謂ふべきなり
    (中略)
       大正十五年丙寅紀元節
           嚴嶋經副本調製會
               幹事 高橋義雄手記

    先づ上野帝室博物館の許可を得て、十一月十一、二三の三日間、原本と副本とを併せて、同館内表慶館に展陳する都合となつた。處が其前九日、皇后陛下が帝室博物館に行啓在らせられたので、原本十巻と副本全部とを御覧に供へ奉つた處が陛下の御感斜ならず、破格を以て田中氏を召出され「さぞ苦勞であつたらうが、大層好く出來ました」と有難き御言葉を賜はつたので、田中氏は光榮身に餘り、陛下が美術奨勸の思召深きに感泣したのであるが、是れ獨り田中氏の光榮のみならず、寄進者一同に取りても、亦誠に有難き仕合せであつた。

  • 同年11月18日、経巻を厳島神社に奉納。

    彌々十一月十八日午前十時に、嚴島神社に奉納する都合なので、私等は馬越恭平、野崎廣太、田中親美、森川勘一郎、吉田丹左衛門、其他東京京阪道具商連中と同行して、神殿に参列すれば、御戸帳の内面に、一段高く金幣を立て、其の兩側に供物を供へて、菊池宮司以下神職列座の上、馬越恭平翁が寄進者總代として、例の奉納文を朗讀し、夫れより一同玉串を神前に捧げて、奉納式を終了した

  • 同社では普段この田中親美による模本(レプリカ)が展示されており、国宝実物については、年1回程度一部が公開されている。

 東博所蔵

絵画
彩箋墨書33巻
田中親美
東京国立博物館所蔵

  • 上記大正9年(1920年)の模本製作の際、田中親美は2組製作していたが、1組については手元に残していた。
  • 後年、これを元にさらに模本を数組製作しており、1組は益田鈍翁へと渡り(益田本、東博所蔵)、その他、大倉集古館へと渡った(大倉本)ものと安田家に渡った(安田本)ものが知られている。
  • この益田本がのち東博所蔵となった。
  • さらに「厳王品」1巻のみ制作したものが、松永安左エ門氏により東博に寄贈され、現在も所蔵されている。

    書跡
    彩箋墨書1巻
    田中親美
    松永安左エ門氏寄贈
    東京国立博物館所蔵

 関連項目


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