乱れ髪
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乱れ髪(みだれがみ)
脇差
無銘 一文字
刃長一尺五寸四分
厳島神社所蔵
- 大内家五名剣のひとつ。
- 「乱髪」「乱れ髪一文字」
- 無銘ながら一文字の作とされる。
- 菖蒲造。
- 戦国期の小刀の拵が附く。柄は金の打ち出し鮫、目貫は金無垢の竜、柄糸は茶色で平巻き。
由来
- 不明
来歴
大内氏
厳島神社
- 弘治3年(1557年)に大内氏を滅ぼした毛利元就の子、毛利隆元がこの五名剣を手に入れる。しかし、隆元はこれを厳島神社に奉納している。
山口滅亡ノ時吉田ヘオクリシカバ、毛利隆元コレヲ見タマヒ、予ハ義隆ノ扶持ヲ以テヒトゝナレゝバカノ家ノ宝物ミダリニ取ヲサムベキニアラズ、シカシ大明神ニアズケマイラセンニハトテ当社へ納メタマヒケリ
- 噂を聞いた足利義輝から、ぜひともそれらを見たいという内意が伝えられ、一度は断るがしきりに催促されたため仕方なく「乱髪」を京都に贈ったという。その後、上野民部大輔が「乱髪」を持ってきて「荒波」と交換してくれといい、これも断りきれず今度は「荒波」を持たせて帰したという。
- 「厳島図会」では、最初に「荒波」と「乱髪」の2口を持って帰り、後に「乱髪」だけを戻したともいう。いずれにしろ「荒波」は足利家に移り、「乱髪」が厳島に返された。その後永禄6年(1563年)頃に「荒波」も一時的に戻っている。
然ルニ足利将軍家、荒波乱髪ノ名劔ナルヨシヲ傳ヘキコシメサレ、ヒタスラ御覧アリタキヨシニテ御使頻ニアリケレバ、棚守房顕ヲ吉田ヘメサレソノヨシ仰セラレケルニ房顕マウシケルハ、平家ノ御時ノコトハ申ニオヨバズ頼朝以来ノ御代々々ニハ将軍家ヨリ銘物ノ御太刀刀御寄進コソサフラヘ、寶物御所望ノヿハ神慮イトモカシコシ、更ニカナヒサフラフマジト申上シカドモ、ナホ御覧セマホシキヨシニテ上野兵部大輔吉田ヘ下向アリ、コノウヘハチカラナシトテ荒波乱髪ノ二口ヲ都ニ上セタマヒケルニ、乱髪ヲハカヘシタマヒテ荒波ヲトヽメ玉ヒケリ
ソノ後将軍家ニ、不吉ノコトヾモ出来テ若君ナド過タマヒシカバ、マタ荒波ヲモカヘサセタマヒケリ
- この「乱れ髪」は厳島神社に残るが、「大内家五名剣」のうち残りの「千鳥一文字」は天正15年(1587年)に秀吉に献上、「荒波一文字」は慶長5年(1600年)に家康に献上している。
- さらに天保13年(1842年)刊行の「厳島図会」の時点で、この乱れ髪以外は行方不明となっている。
毛利隆元朝臣寄附乱髪一文字 長一尺五寸四分
荒波ハサラニモイハズ、千鳥、小林、菊作菊一文字トイフ一口アリテ上ニ啚ヲ出セルガ如ク身モ装束モ尋常ノモノニアノコトニハアラサルカノ三口モイマ寶庫ニ見エサルハ、イツウセタルニカ惜ムヘキノキハマリナリケリ、然レトモ乱髪一口ハマサシク傳ハリキテ既ニ上伴ニ啚ヲ出セリ
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