三池典太光世(刀工)
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三池典太光世(みいけてんたみつよ)
承保年間の筑後の刀工
典太、伝太と称し、三池に住したため、三池伝太と呼ばれる
法名元真
概要
- 三池派の開祖
- 法名元真とするが読みはわかっておらず、古来「ゲンシン」と音読みされる。
- 光世については古来「ミツヨ」と訓読みされる。
- 天下五剣の名物「大典太光世」や、久能山東照宮所蔵の家康の愛刀「ソハヤノツルキウツスナリ」、熊本県熊本市本妙寺蔵の短刀などが現存する。
- 筑後三池(御池)は、現在の福岡県大牟田市三池郡。※かつて三井三池炭鉱があった町でもある。
- 古来承保ごろ(1074年-1076年)に活躍したとされるが、豊後行平の師、または豊後定秀派とすれば平治ごろ(1159年-1160年)まで降りる。
著名刀
- 「大典太光世」
- 銘「光世作」天下五剣。国宝。
- 東照宮の光世
- 無銘伝三池光世。裏「妙純伝持」と「ソハヤノツルキ」、表「ウツスナリ」と入る。重要文化財。久能山東照宮所蔵
- 短刀
- 銘「光世」第八代熊本藩主細川斉茲奉納。肥後熊本藩8代藩主の細川斉茲が差料として使用していたもので後に、本妙寺に寄進した。寄進状も残る。大正5年(1916年)5月24日重要文化財。熊本県本妙寺所蔵
- 新納光世
- にいろみつよ。新納武蔵守忠元の佩刀。忠元は島津家臣で鬼武蔵と呼ばれた。慶長15年(1610年)85歳で没。新納家から神社に奉納していたものが明治10年(1877年)の西南戦争のときに持ちだされ、鹿児島市内の貴島某が入手。それを西郷従道が譲り受け、のち岩崎男爵家に贈り、終戦後同家を出た。刃長二尺三寸一分。元幅一寸八厘。表裏に棒樋。鋩子乱れこんで尖りわずかに返る。中心大磨上で目釘孔3個。筑後の三池光世という伝承は幅広の樋からの鑑定。相州系と見られる。
- 柳生十兵衛
- 柳生十兵衛も三池典太を愛用したという。
- 太刀
- 銘「光世」徳川吉宗寄進。大正13年(1924年)4月15日旧国宝指定。刺田比古神社所蔵(和歌山市)
鉄の鎌
- 三池典太の子孫の家には二つの家宝が伝わり、一つは水晶でできた数珠、もう一つが三池典太がつくった鉄の鎌であったという。
- 鎌は仏壇の下の引出しに大事にしまわれていたが、ある晩、家に盗賊が押し入った際に、引出しの中でガタガタ音がし始め、家人がその音で目を覚まし急いで引出しを開けたところ、鎌が自分から飛び出し盗賊に襲い掛かり、追いまわしてついには追い払ってしまったという。
同名異人
- 肥前大村光世
- 大村氏が元弘の乱で足利方に降伏したため、大村の地は筑後三池領主三池木工助に与えられ、その結果三池から大典太光世の末流が移住し、古刀末期まで数台続いた。これを大村光世と呼ぶ。
- 安芸
- 明徳ごろに「小春住」と切った光世が居る。
関連項目
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