三池派
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三池派(みいけは)
筑後の刀工集団。平安~室町末。
三池または典太の名を使っていた。
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初代:光世(みつよ)
- 三池典太光世、三池元真。
- 通称三池典太(みいけてんた)。
- 著名作
- 大典太光世
- 天下五剣の一つ。
- 刀
- ※代不明。
大内義隆に従った禰宜民部丞右延の所持刀。禰宜民部丞右延刀 一口
長二尺三寸四分五厘 中心五寸五分 三池作 柄長七寸一分弱 縁頭赤ガチ 浪ニ龍彫物 金色繪 目貫紛失 鎺赤金 鍔紛失 鮫黒 茶皮片手巻 鞘黒塗
右延本氏ハ高橋。今八幡宮ノ禰宜ニテ。大内義隆卿ノ愛顧ヲ受ク。天文廿年九月一日。義隆卿ニ殉ス。- この今八幡宮とは義隆の父である大内義興が伊勢皇大神宮から勧請して建立した高嶺神明のこと。高嶺神明は、のち後柏原天皇から「高嶺太神宮」、後陽成天皇から「伊勢」の勅額を賜っており、現在は多賀神社(山口大神宮)と呼ばれている。
- 所持していた禰宜民部丞とは禰宜右延(ねぎ すけのぶ)のことで、高嶺神明(多賀神社)の大宮司を務めていた人物。天文20年(1551年)陶晴賢の謀反(大寧寺の変)が起きた際も大内義隆に従い、大寧寺で討死したという。子の言延は毛利氏に従い、慶長20年(1615年)に輝元の要望により「言延覚書」を提出している。
- 明治初期には周防吉敷郡上宇野令村の士族高橋右胤氏所蔵。(吉敷郡上宇野合村は、現在の山口市)
二代:光世
- 三池伝多光世
三代:光世
- 三池伝田光世
四代:光世
- 三池伝太光世
五代:光世
- 三池田太光世
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