三条吉家(刀工)
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三条吉家(さんじょうよしいえ)
概要
- 宗近の子、あるいは孫。宗近の隠し銘ともいう。
- 天暦7年(953年)生まれ、治安3年(1023年)没、71歳。東三条に住す。
- 「鵜丸」の作者として名高い。その他「鴉丸」、「鶫丸(つぐみまる)」、「鶚丸(みさごまる)」などの作者とするのは「鵜丸」の誤写とされる。
- 長享銘尽
吉家 三条トモ打、備前宗仲ガ子也。後鳥羽院ノ鵜丸ヲ造是ヲ鵜丸ト名付㕝ハ此太刀ヲ盗人取テアマリニアツカイテ神泉苑ノ池ニ投入ルサルホドニ、不断スミナレタル鵜飛入テ二ニ切ルゝ、人怙ヲ見ル池ノ中ニ太刀アリ是ヲ取テ則、鵜丸ト名付。白河ノ院御太刀也。其池ハ佐々木三郎ハ日吉(日吉神社)御幸時鏑流馬ノ□時下サルゝ、越後國ヒカラノ太郎(平賀太郎)ガ聟ニ成時、□之アマリニ□イヲシキニヨリ信州諏訪大明神ニコメ奉ト云
- 諸国鍛冶寄
一条院御宇 吉家三條宗近子ト云或ハカクシ銘トモ云
太刀ノ姿宗近ニ同シ。鍛柾目ニテ濃ヤカ也。地色靑シ。小亂刄ヲ焼也。但シノタレモ有。細直刄ニ小足ヲ入テ焼也。ニヘ多シ。庵中太刀ノ姿ジンジャウナリ。宗近カクシメイトイヘトモ。彼作ヨリ出来様少浅シ。ナカコノ姿ハ宗近ニヨク似リ。鑢ハ小スチカイナリ。丸ミ子也。ハノカタモ少丸シ。口傳。
著名作
- 太刀
- 銘「吉家」長二尺四寸五分三厘(73.9cm)、反り2.6cm。附 黒漆千段巻塗打刀拵。鎬造、庵棟。磨上。目釘孔2個うち1個を埋める。慶安元年(1648年)安房守光隆元服時に家光より拝領したもので、蜂須賀家伝来。侯爵蜂須賀正氏蔵。打刀拵は明治に整えたもので篠山篤興作。明治15年(1882年)11月蜂須賀茂韶から明治天皇に献上。旧御物。東京国立博物館所蔵
- 鵜丸
- 白河上皇の御剣
佐竹鵜丸 - 秋田城主佐竹家伝来。もとは奥州岩城城主岩城家重代の宝刀。寛永10年(1633年)9月21日、秋田城火災の際に消失した。
- 太刀
- 銘「吉家作」長二尺五寸一分、反り七分七厘。会津藩主松平家伝来、秩父宮所蔵。昭和15年(1940年)の紀元二千六百年奉祝名宝日本刀展覧会出展。小切先。なかご磨上、先を一文字に切り、矢筈形に穴が残る。表棟寄に「吉家作」と三字銘。
秩父宮御貸下
御太刀 銘 吉家作
長さ二尺五寸一分(磨上) 反り七分七厘 元幅八分八輪
- 太刀
- 銘「吉家」長69.4cm、反り2.2cm。鎬造、庵棟。なかご棟寄りに小振りな二字銘。信州松平家伝来。昭和16年(1941年)7月3日重要文化財指定。林原美術館保管所蔵
- 太刀
- 銘「吉家作」長74.5cm、反り2.3cm。細身、小鋒、刃文小乱。鎬造、庵棟。区を少し磨上。ほとんど生ぶ中心、先は切。目釘孔3個。表棟寄りに三字銘。昭和14年(1939年)5月27日重要文化財指定。京都国立博物館所蔵
- 太刀
- 銘「吉家」昭和8年(1933年)1月23日重要文化財指定
- 太刀
- 銘「吉家作」長70.3cm。鎬造、庵棟。目釘孔3個(下切れ)。なかご磨上。昭和17年(1942年)6月26日重要文化財指定。公益財団法人香雪美術館(兵庫県)
- 太刀
- 銘「吉家」昭和27年(1952年)3月29日重要文化財指定
- 太刀
- 銘「吉家」昭和30年(1955年)2月2日重要文化財指定。個人蔵
- 太刀
- 銘「吉家作」二尺五寸五厘。小切先。生ぶ中心。島津家伝来。金梨地葵紋蒔絵で勝色糸巻拵が附く。
安永元年(1772年)辰十一月、浄岸院御逝去ニ付二十代藩主島津重豪に御遺物として進め被され候
浄岸院とは、権大納言清閑寺熈定の娘。綱吉及び吉宗の養女となり、のち薩摩藩第5代藩主島津継豊の継室となる。嫡母として宗信の養育や義理の孫に当たる島津重豪の養育に携わる。浄岸院の死後、その遺言として、島津重豪の娘、広大院茂姫と11代将軍徳川家斉(婚約当初は一橋家世子)との縁組が行われた。
備前吉家との関係
- 備前吉家との判別が難しく、「可然物」の選に入るのは三条吉家ではなく備前吉家とされる。
同名が備前一文字派にあって銘も酷似するが、三条吉家の方が、この太刀のように、細身、小鋒(こきっさき)で、刃文も小乱(こみだれ)を主体とする古雅な作風を示す。ただしこの特徴は初期備前刀の作風とも共通し、京三条派と限定できるものではないため、三条吉家を認めず、一文字吉家の作風の新古と考えるむきもある。
(e国寶 重文「太刀 銘吉家作」の説明より)
備前吉家
- 備前福岡、正中一文字派に同名吉家がいる。鎌倉後期から南北朝時代。
- 判別が難しいが、阿波藩主蜂須賀家伝来の「唐随吉家」はこの備前吉家だとされる。
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