一柳安吉
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一柳安吉(ひとつやなぎやすよし)
- 「享保名物帳」所載
一柳安吉 長一尺六分 松平加賀守殿
一柳監物所持、加州御預の監物殿にては無之、表裏刀樋影樋
- 平造り、棒樋に連れ樋。真の棟。鋩子は乱れこんで角張り、わずかに返る。注進うぶで、目釘孔2個。「左安吉」と三字銘。
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由来
- 美濃国の武将一柳直盛(ひとつやなぎなおもり)が所持していたことからこの名がつく。
- 「加州御預の監物殿」とは、直盛の孫、伊予西条藩の第3代藩主の一柳直興のこと。寛文5年(1665年)7月29日、職務怠慢や失政などがとがめられ改易され、身柄は加賀藩の前田綱紀に預けられた。
来歴
一柳直盛
- 一柳直盛は一柳直末の弟。天正18年(1590年)、小田原征伐で直末が戦死したため、跡を継いだ。
一柳直家
一柳直興→前田家
- 3代藩主一柳直興まで伝わるが、41歳のとき幕命に従わず改易され、その身は加賀藩お預かりとなる。4代藩主前田綱紀はこの一柳直興の罪を解くことを周旋している。
- 貞享3年(1686年)に遂に「領國中住居及召仕人の事勝手次第」との許しを得、金沢城に登って綱紀に拝謁し、謝礼を述べているが、すでに60歳を過ぎており眼病を患い失明していたという。恐らくこの時までに、「一柳安吉」は前田家に伝わったと思われる。
前田家代々
- その後前田家に伝来した。前田家の記録では長一尺五分半。
- 寛文2年(1662年)本阿弥に出され、金六十枚の折紙を付けている。その後百枚に値上がっている。
- 江戸藩邸に保管しており、文化9年(1812年)に本阿弥長根がお手入れしている。
渡邊三郎
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