道意正宗

道意正宗(どういまさむね)  

短刀
名物 道意正宗
八寸七分

  • 享保名物帳所載

    道意正宗 無銘長八寸七分 代金二百枚 御物
    岡本道意所持、表裏樋逼きの上にて丸く掻き留表に浮劍三鈷、裏に梵字三ツ下に蓮花あり、御祝儀に水戸殿へ献上依て光澄光通に頼み蓮花をとり研出来の上右の代になる元禄十年究め

  • 差表に樋のなかに三鈷柄の剣、裏は樋の中に梵字三個と蓮華が浮き彫りになっていた。この蓮華は途中取られている。
  • 中心には目釘孔2個。無銘。

由来  

  • 堺の町人、岡本道意所持にちなむ。

来歴  

  • 岡本道意が掘り出し、埋忠寿斎に金具を造らせた。
  • 岡本道意が水戸家に献上したという。この時には蓮華の彫物があったが、祝儀には不向きということで本阿弥光澄が本阿弥光通に依頼して削ぎとってしまったという。
    道意は紀州藩浅野幸長に献上したともいう。この場合、浅野家から水戸家、あるいは浅野家から将軍家を経て水戸家という流れになる。
  • 元禄10年(1697年)に二百枚の折紙がつく。
  • 水戸藩第3代藩主徳川吉孚は、元禄11年(1698年)に八重姫(鷹司輔信の娘。関白鷹司兼熈の養女、後に江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の養女)を娶っている。
  • 詳註刀剣名物帳」では、「六月十三日世子吉孚夫人を迎ひられ、美々敷婚儀あり、西山光圀卿よりも眞の太刀黄金二百枚銀三百枚進ぜらる(水戸紀年)」との記事を引き、この吉孚の婚姻を祝して献上したのではないかと指摘する。
  • 元禄12年(1699年)9月25日、将軍綱吉が水戸藩邸に御成のとき、水戸家の綱條から備前長光太刀、豊後長円の刀とともに相州正宗の短刀を献上しているこの短刀が「道意正宗」であるとされる。

その後の行方  

  • 幕末の将軍家刀剣台帳には載っていない。
  • 明暦の大火での焼失刀剣に「道合正宗」があるがそのような号の刀はなく、この道合正宗が本刀であるとされる。
  • 本阿弥家の「名物扣」には、在銘で表裏に棒樋と添え樋、梵字3個となっている。
  • このことから、次のように解釈できるという。
    1. 元の「道意正宗」は明暦の大火で焼けてしまい、享保名物帳編纂時には将軍家の道意正宗は失われてた。
    2. 水戸家からの献上正宗は異名がなかった。
    3. 幸い「埋忠銘鑑」には異名がなく岡本同意が掘り出したと注記されている正宗があり、それには刃長が記載されていなかったため、異名のない水戸家献上正宗を「道意正宗」としてしまった。