樋口藤四郎

樋口藤四郎(ひぐちとうしろう)  

短刀
朱銘 吉光
8寸

  • 享保名物帳所載(ヤケ)

    樋口藤四郎 長八寸 代七千貫 御物
    泉州堺樋口屋所持、石田治部少輔求めて秀次公へ上る、京極高次拝領にて若狭守殿へ伝え、家光公へ上る、返り少し。光心の朱判あり

  • 直刃、鋩子は焼き詰めに近かった。中心うぶ、目釘孔1個。本阿弥光心の「吉光」という朱銘があった

由来  

  • 堺の商人樋口屋(ひのくちや)の所持にちなむ。
    もとは肥前長崎の商人という。

来歴  

  • 樋口屋から石田三成が金十三で買い求め、天正(1573年~1592年)ごろ豊臣秀次へ献上する。
  • 京極高次が拝領し、息子の京極忠高(若狭守、のち左近衛権少将)へ伝える。
  • その後忠高は出雲隠岐両国を領し、徳川秀忠の四女初姫を娶り将軍家の縁戚となる。「樋口藤四郎」は、この際に将軍家に献上されたものと思われる。
  • 将軍家に伝わるが、明暦の大火で焼けている。

京極家  

  • 京極忠高は45歳で死去、嗣子がなかったために改易されかけるが、甥の高和が播磨龍野に6万石の所領を与えられることで大名として存続、さらに万治元年(1658年)に讃岐丸亀藩6万石に移封となり、幕末まで存続した。
  • 京極家には、秀吉より拝領の「にっかり青江」、家康より拝領の粟田口吉光の短刀、さらに豊臣秀吉より拝領の短刀「京極正宗」などが伝わった。

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