新身国行

新身国行(あらみくにゆき)  


銘 国行
刃長二尺七寸

由来  

  • 新身のような出来であるため。

来歴  

  • もと尼子家重代の刀。
  • 天正6年(1578年)7月、上月城が落ち尼子勝久が自刃する際に、山中鹿之介に与えた。
  • 秀吉方の亀井滋矩が潜入してきたため、鹿之介はこの刀を贈ろうとするが断られたという。
  • その後鹿之助はこれを帯びて毛利家に下り、備後国鞆の浦に陣取る毛利輝元の下へ護送されることとなる。その途中鹿之助は、備中合(阿井)の渡しでだまし討された。
  • この時、三上淡路守が新身国行を奪ったという。
  • 異説では、鹿之助の郎党柴橋大刀助を渡辺小左衛門が倒してその佩刀を奪い、毛利輝元に差し出したところ、これが新身国行に違いないということになったともいう。

    其時三上平兵衛も手に合候て鹿介か長脇差を取申候、鹿介縁者柴橋と申者を渡辺又左衛門と宇田多右衛門両人して相果し候、刀をハ渡辺又左衛門討取に仕候頸は右衛門取申候、頸にかけたる袋に大海之つぼ是は又右衛門取申候右之刀ハ誰々見候ても常の刀にあらず候、あらみ國行を鹿介持たる由内々取沙汰候治定是にて可有と各申て候、此刀と大海と上け申候へハ無粉あらみ國行にて被召置大海は御用無之候て御返し被成于今有之由候

  • 文禄3年秋、毛利輝元から秀吉に清水藤四郎とともに献上された。

    太閤様御機嫌よく御膳召上られ其上御噺御座候、輝元公熊野の小鼓遊ばされ左候て新身国行御腰物、清水藤四郎御脇差差上られ候処、成程御機嫌よく御両腰御差なされ候云々

  • 本阿弥光徳刀絵図にも載っている。

    あらミ国行、長さ二尺七寸

  • 慶長6年正月調べの豊臣家蔵刀中にも載っているがその後登場しないため、大坂落城の際に焼けたとみられる。
  • この新身国行に比較して小さかったために名づけられたという「小国行」もある。